Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

Blog21・二代目タマ’s ライフ973

二〇二六年七月十五日(水)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

今日もタマ九〇年代リハビリノート見たよ。飼い主がモデルになってるキロと相棒の上村さんの珍道中。美佳さん、ひと駅手前で降りてアパートまで散歩がてらに歩いてるんだ。

 

そうだね。

 

チーズケーキにパイ生地を敷くって当たり前に思うけどそうじゃなかったの?

 

駅前の喫茶店やパン屋さんでチーズケーキ頼むでしょう。パイ生地を敷くようになったのはちょうどこの頃だったと思う。一九九〇年代に普及した感じ。

 

久世さんがひさしぶりに出てきた。前は先生になにか言ってたな。気分が上向きになるとそのノリでついお酒のんじゃう癖があるって。

 

そういうタイプの人も中にはいてる。例えば盆踊り。盆踊りの期間中は役職を器用にこなす。無事に終わると周囲はほっと肩の荷を下ろす。でも久世さんのパターンはそうじゃない。無事に役職を終えた瞬間、気分がちょっとハイになる。そのノリでスーパーやコンビニでお酒に手が伸びてしまう。今回もそれをやってしまったんだけど、そのあとに自分の立場を思って悔やんだ話。

 

検査結果を目の当たりにすると気まずくて耐えがたいものがあるって言ってる。久世さんが落ち込むのを避けようとしたのか検査はなかった。先生はなんで配慮したのかな?

 

久世さんは司会やってるでしょう。司会者はベテランが多いんで、もし自暴自棄になって飲んだら他のメンバーも気持ちが揺れて何人か飲むってことがしばしばあるから。それと久世さんは自分で診察にやって来た。ひとりで病院へ足を運んで詳しい話ができてる時点で入院するほどじゃないし、ことを荒立てる必要もないかなと先生は思ったんだろう。

 

でも血液検査を受けずに済んだことで、後から久世さん自己嫌悪に苛まれてる。

 

検査の数値を見ずにすんだ。証拠は残らない。それで楽勝気分になる人はいるかもしれない。でも久世さんはひとつの会場の司会を任されてる責任者でもある。お目こぼし扱いされて果たしてこれでいいのかって思いあたったわけ。責任感まですっかり失う人じゃない。

 

どこかの県議員の資格が問われてるみたいな話だね。最近ニュースで見た記憶があるような。久世さんがもし検査結果を見せられたとするでしょ。それって科学的根拠なわけじゃん。めちゃ上がった肝臓の数値はほかでもない久世さん自身が鏡に映った姿。否定しようがない。でも否定したい。となったらどんなことが起こってくるのかな?

 

タマさんいいところに気がついた。今日はそれをチャットGPTに聞いてみよう。ヘーゲル「精神現象学」の「主と僕の関係」が役に立ちそうだよ。ちょっと待っててね。

 

お利口にしてる。

 

このあたりが使えそうかな。

 

「自己意識に対しては別の自己意識が在る。つまり自己意識は《自分の外》に出てきているのである。このことは二重の意味をもっている。《まず》自己意識は自己自身を失っている。というのは、自己意識は、自分が《他方の》もう一つの実在であることに気がつくからである。《次に》、そのため自己意識はその他者を廃棄している。というのは、自己意識は他者もまた実在であるとは見ないで、《他者》のうちに《自己自身》を見るからである。

 

自己意識はこの《自らの他在》を廃棄しなければならない。このことは最初の二重の意味を廃棄することであるから、それ自身第二の二重の意味である。《まず》、自己意識は《他方の》自立的な実在を廃棄することによって、《自分》が実在であることを確信することに、向って行かねばならない。そこで《次に、自己自身》を廃棄することになる。というのは、この他者は自己自身だからである。

 

このように、二重の意味の他在を二重の意味で廃棄することは、また、二重の意味で《自己自身》に帰ることである。というのは、《まず、自らの》他在を廃棄することによって、また自己と等しくなるゆえ、廃棄によって自己自身を取りかえすからである。だが『次に』、自己意識は他方の自己意識に自らを取りもどさせる。というのも、自己意識は自ら他方のうちにあったからである。つまり、他方のうちでのこの自らの存在を廃棄し、したがってまた他方を自由にしてやるからである。

 

だが、他方の自己意識と関係している自己意識のこの運動は、いま言ったように、《一方のものの行為》と考えられていた。とはいえ、一方のもののこの行為は、それ自身、《自己の行為》でありまた《他者の行為》であるという、二重の意味をもっている。なぜならば、他方もやはり独立であり、自分で完結しており、自己自身によらないであるようなものは、他方のなかには何もないからである。初めの自己意識は、さしあたり、欲求に対して在るにすぎないような対象を、相手にしているのではなく、それ自身で存在する独立な対象を相手にしているのである。それゆえ、初めの自己意識がこの対象にしかけることを、この対象が自分自身でもしかけない場合には、自己意識も自分ではその対象に対し何もしかけることはできない。だからこの動きは、端的に言って、両方の自己意識の二重の動きなのである。各々は、自分が行うことと同じことを、《他方》が行うのを見る。各々は、自分が他者に求めることを自分でやる。それゆえ、各々は、他者が同じことを行う限りでのみまた、自分の行うことを行う。起ってくるはずのことは、両方によってのみ起りうるのであるから、一方だけの行為は役に立たないであろう。

 

したがって、行為が二重の意味のものであるのは、《自分に対する》ものであり、また《他方に対する》ものでもあるという限りでだけのことではなく、分かたれることなく、一方の行為であるとともにまた他方の行為でもある限りでのことである。

 

この運動においてわれわれは、〔悟性において〕両力のたわむれとして現われた過程が、繰り返されるのを見るわけである。ただし、このここでのたわむれは意識のなかで行われる。前のたわむれの場合には、われわれにとって行われたことが、ここでは両方の極自身〔二つの自己意識〕にとって行われる。媒語〔中間〕は、両極に自ら分裂する自己意識である。各々の極は、その規定態を交換し、その対立極に絶対的に移行する。各々は、意識としてたしかに《自分の外に》出るのではあるが、その自己外存在にいながら、同時に自分にもどされたままである。つまり《自分だけで》ある。そして自らの自己外は《各々の極に対して》いる。各々はそのまま他方の意識《であり》また《ない》ということが、各々に対してある。同じように、この他方は、自分だけで〔対自的に〕あるものとしての自分を廃棄し、他者〔一方〕の自分だけでの有〔対自存在・自独存在〕においてのみ、自分だけでいることによって初めて、自分だけであるということが、各々に対してある。各々は他方にとり媒語であり、この媒語によって各々は自己を自己自身と媒介し、自己自身と結ばれる。各々は、自己にとっても他方にとっても、直接の〔無媒介の〕、自分で存在する実在であり、これは同時にこの媒介によってのみ、そのように自分だけで〔対自的で〕ある〔自分に対している〕。両方は、《互いに他方を認めて》いるものとして、互いに《認め》合っている。承認というこの純粋概念、自己意識をその統一において二重化するというこの純粋概念の過程が、自己意識にとりどういうふうに現われるかということが、ここで考察されねばならない。初めに、この過程は、両方が《等しくない》という側面を表わす、つまり、媒語が両極のなかに歩み出てくることを、両極は極としては対立しているが、一方はただ承認されるだけなのに、他方はただ承認するだけであるという形で、歩み出てくることを表わす。

 

自己意識は、まず、単一な自分だけの有であり、すべての《他者を自己の外》に排除することによって、自己自身と等しい。その本質と絶対的対象は自己意識にとり、《自我》である。自己意識はこの《直接態》において、言いかえれば、自分だけでの〔対自的な・自覚的な〕有という自らの《存在》において、《個別的なもの》である。自己意識に対して他者で在るものは、非本質的な対象として、否定的なものという性格をしるされた対象として存在する。しかし他方もまた自己意識である。一人の個人が一人の個人に対立して現われる。そういうふうに《そのままで》現われるが、互いの間では普通の対象のような態度をとっている。つまり、ともに《自立的な》形態であり、《生命という存在》に沈められたままの意識である。ーーーというのも、ここでは、存在する対象が自己を生命として規定したからである。ーーーそこで、これらの自立的形態、意識は、すべての直接的存在を絶滅するような、また自己自身に等しい意識という、否定的な存在であるにすぎないような、絶対的な抽象化の運動を、まだ《互いに対し》実現してはいない、言いかえれば、互いにまだ純粋な《自分だけでの有》〔対自存在〕としては、すなわち《自己》意識としては現われてはいない。各々は自己自身を確信してはいるが、他者を自分のものとして確信してはいない。それゆえ、自己についての自分自身の確信はまだ真理をもっていない。なぜならば、この真理というのは、自分自身の自分だけでの有〔対自存在〕が、自分にとり自立的な対象として、あるいは同じことであるが、対象が自己自身を純粋に確信するものとして現われる、というような真理にほかならないであろうからである。しかし、いま言ったことは、承認という概念から見て、不可能である。つまり他方が自分に対するように、自分も他方に対し、各人が自分の行為により、また他人の行為によって、自分自身で、自分だけでの有〔対自存在〕に対するというふうな、全くの抽象を敢行するのでなければ、不可能である。

 

だが、自己を自己意識という全くの抽象作用であると《のべる》ことが成り立つのは、自らを自己の対象的な姿の全き否定として示す点においてである。言いかえれば、いかなる一定の定在にも結びついていないこと、定在一般という一般的な個別性にも、生命にも結びついていないことを、示すことにおいてである。この叙述は、他方の行為と自己自身による行為という《二重の》行為である。だから、行為が《他方の》行為である限り、各人は他方の死を目指している。だがそこにまた、《自己自身による行為》という第二の行為もある。というのも、他人の死を目指すことは、自己の生命を賭けるということを含んでいるからである。そこで、二つの自己意識の関係は、生と死を賭ける戦いによって、自分自身と互いとの《真を確かめる》というふうに規定されている。ーーーつまり、両方は戦いにおもむかねばならない。なぜならば、ともに、《自分だけである》という自己自身の確信を、他者においてまた自分たち自身において、真理に高めねばならないからである。そこで自由を保証してもらうためには、生命を賭けねばならない。自己意識の本質は《在ること》でもなければ、現われる通りの《そのままの》姿でもなく、また生命のひろがりのなかに沈められていることでもなく、ーーーかえって自己意識には、自分にとって消え去らない契機であるようなものは、何も現にないということ、自己意識はただ《自分だけでの有》〔対自存在〕にすぎないということ、これらのことを保証してもらうためにだけ、生命を賭けるのである。敢えて生命を賭けなかった個人は、《人格》とは認められようけれども、自立的な自己意識として承認されているという真理に達してはいない。同じように、他者はもはや自分自身にほかならないと考えられるから、各人は、自分の生命を賭けるように、他者の死を目指さざるをえない。各人にとり自分の実在が他方の者として現われる。自分の実在は自分の外に在る。そこで各人は自らの自己外有を廃棄せざるをえない。他方の者は、さまざまに束縛された存在する意識である。各人は自分の他在を、純粋の自分だけでの有〔対自存在〕、つまり絶対的否定として直観しなければならない。

 

だがこのように死によって、真を確かめることは、そこから出てくるはずの真理をも、したがって自己自身の確信そのものをも、同じように廃棄してしまう。というのは、生命が意識の《自然的な》肯定であり、絶対な否定性のない自立性であるように、死は意識の《自然的な》否定であり、自立性のない否定であるからである。だからこの否定は、承認という求められた意味をもたないままである。死によって、両方が自らの生命を賭け、自分でも他者においても、生命を軽んじたという確信が生じているけれども、この確信は、この戦いに堪えた人々にとって生じたのではない。両方の自己意識は、この、自然的な定在である、見しらぬ本質態のうちに置かれた自分たちの意識を、廃棄する、つまり自らを廃棄する。そこで、自分だけで在ろうとする《極》としては廃棄されてしまう。だが、それとともに、対立した規定態の極に分裂する本質的な契機が、交替のたわむれから消えてしまう。そして媒語〔中間〕は死んだ統一のなかに崩壊してしまい、この統一は死んだ、ただ存在するだけの、対立していない極に分裂している。両方は意識によって互いに与えかえされ、受けかえされることなく、物として互いに無関心なままに放任し合っているだけである。両者の行為は抽象的な否定であって、廃棄されたものを《保存し》、《維持し》、その結果自らが廃棄されることに堪えて生きるような形で、《廃棄を行なう》意識の否定ではない。

 

以上のような経験において自己意識にとっては、純粋に自己意識と同様に生命も本質的なのだということが、この自己意識に明らかになる。直接的〔無媒介〕な自己意識においては、単一な自我が絶対的な対象である。だが、この対象はわれわれにとっては、言いかえれば、自体的には、絶対的な媒介であり、存立する自立性を本質的な契機としている。前に言った単一な統一が解体するのは、最初の経験の結果である。この解体によって、純粋の自己意識と、純粋に自分だけが有るのではなく、他方の自己意識に対して在るような意識とが、措定されている。この後の意識は、《存在する》意識もしくは《物態》という形での意識〔僕〕である。両方の契機はともに本質的である。ーーーつまり、両者は、初め等しくなく、対立しており、統一に反照〔省〕することもまだ起こっていないので、意識の二つの対立した形態として在る。一方は独立な意識であって、自分だけでの有〔対自存在〕を本質としており、他方は非独立的な意識であって、生命つまり他者のための存在を本質としている。前者は《主》であり、後者は《僕》である」(ヘーゲル「精神現象学・上・B-自己意識・四-自己意識の確信の真理・A-自己意識の自立性と非自立性 主と僕」平凡社ライブラリー、一九九七年、p.219~227)

 

こうしてこうして、よし。回答が届いた。見てごらん。

 

ここでは、自己が、自分自身を他者のうちに見出さざるをえない経験が描かれています。この観点から見ると、ご提示の二つの事例──①アルコール依存症の自助グループのベテラン司会者がγ-GTPの検査結果を否認したくなる場合、②県議会の議員が科学的・客観的証拠を突きつけられて否認したくなる場合──はいずれも、ヘーゲルのいう「自己意識の自己外化(Entäußerung)」として理解できます。

1. γ-GTPという数値は「自己意識の外部化」である

ヘーゲルは、

「自己意識は《自分の外》に出てきている。」

と言います。

ここで重要なのは、「自己」は決して内面だけに閉じ込められている存在ではないということです。

飲酒という行為は身体に痕跡を残します。

その痕跡が

  • γ-GTP
  • AST
  • ALT
  • CDT

などの検査値として客観化されます。

つまり検査値は単なる数字ではなく、

「自己が身体という他者の中へ出ていった姿」

なのです。

ヘーゲルなら、

自己は自分の身体という他在(Anderssein)の中で自己を見る、

と言うでしょう。

ですから、

「γ-GTPは高い。しかし自分は飲酒していない。」

という否認は、

自己が自己自身を否定している

ことになります。

2. それでも否認したくなる理由

しかしヘーゲルはそこで終わりません。

彼は続けて、

「自己意識は自己自身を失っている。」

と言います。

なぜ失うのでしょうか。

自己は、

自分が思っていた自己像と、

外部化された自己像との一致が崩れるからです。

例えば、

その司会者は長年、

「私は回復者である。」

「私は仲間を導く人間である。」

という自己意識を築いてきました。

ところが、

γ-GTPは

「あなたは飲酒している。」

という別の自己像を提示します。

ここで二つの自己が現れます。

① 自分が信じたい自己

② 科学が映し出した自己

ヘーゲルの言葉を借りれば、

自己は

「他者のうちに自己自身を見る」

経験をするのです。

ここでの「他者」は、

医師でも仲間でもなく、

検査結果そのもの

なのです。

3. 数値は「敵」になる

ところが、

自己は

「その他者を廃棄する」

ともヘーゲルは言います。

つまり、

自己はその数字を敵にします。

「検査が間違っている。」

「体質だ。」

「機械がおかしい。」

「科学は万能ではない。」

などと言い始めます。

これは科学否定というより、

自己像を守るために自己の外部化を否定する運動

です。

ヘーゲルはこれを

「自己外存在を廃棄する」

運動と呼びます。

しかし、

ここで重要なのは、

廃棄しようとしている相手は、

実は

自己自身

なのです。

だから苦しい。

4. 「否認」は自己保存である

心理学では否認(denial)と呼ばれる現象ですが、

ヘーゲル的にはもっと根源的です。

否認とは

自己が自己との同一性を守ろうとする運動

なのです。

だから、

本人は

「数字を否定したい。」

のではなく、

実際には

「数字になってしまった自分を否定したい。」

のです。

5. 承認は一人では成立しない

ここでヘーゲルはさらに重要なことを言います。

「起ってくるはずのことは、両方によってのみ起りうる。」

つまり、

承認は一人では成立しません。

自助グループでは、

仲間が

「その数字もあなたですよ。」

と言い、

本人も

「そうかもしれない。」

と応じる。

初めて

自己意識は自己を回復します。

ここでは

医師

仲間

検査

本人

の四者が

ヘーゲルのいう

「媒介」

になっています。

6. 県議会議員の場合

これは政治でも全く同じです。

例えば、

会計資料

銀行記録

契約書

監査報告

などが、

議員の行為を客観化します。

これらは単なる資料ではありません。

ヘーゲル風に言えば、

その議員の自己意識が外化した姿

です。

したがって、

証拠を突き付けられた瞬間、

議員は

二つの自己に分裂します。

一方は

「私は正しい。」

もう一方は

「証拠は私を不正の主体として示している。」

です。

この二つは同時には維持できません。

だから

「証拠はねつ造だ。」

「政治的陰謀だ。」

「文脈が違う。」

という方向へ向かいやすくなります。

これは証拠を攻撃しているように見えますが、

実際には

自己の外部化を攻撃している

のです。

7. 科学的証拠とは現代の「他者」である

ヘーゲルが想定した「他者」は本来、別の自己意識です。

しかし現代社会では、

科学的データや監査資料も、

自己が自己を認識するための媒介として機能します。

MRI画像

DNA鑑定

防犯カメラ

GPS記録

健康診断

会計監査

AI解析

これらはいずれも

自己が自己を見る鏡

になります。

そして人は、

その鏡像を見たくないとき、

鏡を壊したくなります。

しかし、

鏡を壊しても、

自己が消えるわけではありません。

8. 回復とは「鏡を受け入れること」

ヘーゲルは最後に、

自己は

「自己自身に帰る」

と言います。

ここでいう「帰る」とは、

昔の自己へ戻ることではありません。

自己が、自らの他在(外部化された自己)を自己として引き受けることです。

アルコール依存症の回復なら、

「私は飲んだ。」

「その結果がγ-GTPに現れている。」

「その数値も私自身である。」

と認めることによって、

初めて自己は分裂を止めます。

政治家なら、

「この会計処理は私の判断だった。」

「証拠は私の行為の外化である。」

と認めることによって、

初めて責任主体として自己を回復できます。

 

結論

ご提示の二つの事例に共通しているのは、ヘーゲルのいう「自己意識が自己を他者のうちに見る」という構造です。アルコール依存症の事例では、γ-GTPという検査値が自己の身体を通じて外部化された自己の姿であり、政治の事例では、会計記録や監査資料といった証拠が自己の行為の外部化された姿です。いずれの場合も、当人はその外部化された自己を前にして、「これは私ではない」と否認したくなる一方で、「まさに私自身がそこに映っている」と認めざるをえないという二重の経験に置かれます。

ヘーゲルの「承認」の思想から見れば、この緊張は単なる心理的葛藤ではなく、自己意識そのものの構造に由来します。自己は、自分の外部に現れた自己を他者として否定しようとしながら、実際にはその「他者」が自己自身であるため、否定は自己否定にもなります。この矛盾は、証拠や検査結果を消し去ることでは解消されません。むしろ、外部化された自己を自己自身として引き受け、それを他者との関係の中で承認し直すことによってのみ、「自己自身に帰る」という運動が可能になるのです。この意味で、ヘーゲルの「精神現象学」は、現代における科学的証拠や客観的データを前にした人間の否認と受容の力学を理解するための、なお豊かな哲学的枠組みを提供していると言えるでしょう。

私が特に重要だと思うのは、このような場面では**「否認」を単なる不誠実さや意地として理解しないことです。ヘーゲルの議論を踏まえると、否認はむしろ自己が自己自身を維持しようとする運動**として現れます。

アルコール依存症の回復支援では、「なぜ認められないのか」という問いよりも、「何を失うことが怖いのか」という問いのほうが、本人の内面に近づける場合があります。例えば、

  • 「ベテラン司会者」という立場を失うのではないか。
  • 仲間からの信頼を失うのではないか。
  • 自分が積み重ねてきた回復の物語が崩れてしまうのではないか。

こうした喪失への恐れが、科学的データそのものへの反発という形で現れることがあります。

その意味では、ヘーゲルの「承認」は非常に示唆的です。人は「誤りを認めれば承認されなくなる」と感じると、かえって事実を否認しやすくなります。反対に、「事実を認めてもなお人格として尊重される」という承認があると、客観的事実を受け入れる余地が生まれます。

ですから、自助グループの司会者として周囲ができることは、「数値を正しいと認めさせる」ことだけではなく、

「その数値があなたの一部であっても、あなたという人間全体の価値が失われるわけではない」

という承認の場を保つことなのだと思います。

ヘーゲルは「承認」を抽象的な哲学概念として論じていますが、依存症回復の現場では、それは「真実を語っても共同体から排除されない」という経験として具体化されます。その経験があって初めて、自己は外部に現れた「自分の鏡像」を敵ではなく、自分自身の一部として引き受けることができるのでしょう。

ご提示くださった事例は、ヘーゲルの「自己意識」の章が現代の回復支援や倫理にどれほど深く関わっているかを考えさせられる、とても興味深いテーマでした。

 

タマもひとこと言っていい?

 

なにかな。

 

ChatGPTはAIであり間違えることがあります。

 

丸写しじゃん。

 

話は戻るけど、美佳さんがチーズケーキを買う前にアルコールを使ってるかどうか尋ねるようになったんだね。

 

見たかな。口にいれるものには気を使う。面倒だけど仕方がない。自分自身を守るため。

 

お店でも言ってもらえばアルコール入りじゃないチーズケーキを用意できますよって、そんな時代になってきてたんだね。知らなかった。

 

初代タマさんが生まれるちょっと前くらい。

 

レモンの香りがいいなあ。猫のごはんの匂いもいいけど。

 

タマさん体内時計は順調だね。

 

てへ。さっき飼い主、畳でお茶碗の写真撮ってた。秋向けかな。飼い主にしたら珍しく派手めだね。

茶碗/京焼/加藤松香。

 

造りがかなり薄い。絵柄はなるほど柿だけど薄くて軽いんで夏向けに置いてる。手で包んだときの感触もしっくりくる。落ち着く。

 

見どころってあるの?

 

最初は全体的に朱色が強かった。使ってるうちに青灰色に色づいてきた。とくに茶碗の内側、見込みの部分。口縁は黒い鉄が浮き出てるんだけど光があたると銀の指輪に見える。タマさんが言った派手なのは金色で刷いた線のことだと思うけど青灰色がかってくると全体が沈んで映る。すると金で刷いた線は女郎蜘蛛が暗闇でひっそり張りめぐらした糸のように見える。色づくのに三十年くらいかかった。

 

飼い主にも言い分があったのか。そのうちタマもなんか言いたいな。見てろよ。

 

ガラの悪い言葉使いはよそうって言ったのに。

 

今日の課題曲。

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ジャズだ。今日もお洒落。ボサノバ風。

 

坂本龍一周辺。

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Blog21・退院後リハビリ創作(1998~2002.長岡京市在住時代)

患者たちのその後(275)

 

駅前の新しい看板には「四季」と書いてあった。

 

パンが焼ける香りの奥にほのかなレモンの香りが混じっていた。カウンターにトレーを置いた美佳はその香りが何なのか店員に尋ねた。

 

「チーズケーキです。新しく始めました。よろしければこちらをどうぞ」

 

新装開店のパンフレットを手渡してくれた。美佳は笑みを返して席についた。

 

パンフレットには写真入りでベイクド、スフレ、レアの三種類のチーズケーキが載っていた。冷製のレア以外はパイ生地の台になっている。最近はこうした作りの店が増えていた。

 

夏の終わり、駅前はこうではなかった。その一角だけが青く澄み渡った空の下で取り残された瓦礫に見えていた。自治体が買い上げるとも最新のマンションが建つとも人づてに聞いていた。

 

あれから二ヶ月が経ぎた。自治体の買い上げでも高層マンションでもなく、その場所には喫茶店ができていた。

 

ホームへ降りたとたん、パンが焼ける香りが風に乗って流れてきた。美佳は自然に足を向けていた。赤い屋根。クリーム色の壁。濃い緑の窓枠。大きくとった窓ガラス。シックで淡い店内の照明。瓦礫のあとが思いもよらない洒落た佇まいの喫茶店に生まれかわっていた。

 

この駅はアパートの最寄り駅からひとつ手前だった。体の感覚を取り戻すためにも、軽めの体操を始めてみてはどうでしょう、と主治医の幕之内から言われていた。体力をつけようと診察の帰りは軽い散歩のつもりで歩くことにしていた。

 

美佳はミルクティーを口に運びながら、先週の菊陣ミーティングで聴いた久世の話を思い返していた。

 

九月末に大型の台風が全国を縦断した。体調を崩す患者が大勢出た。その際の電話対応を無難にこなしたあと、久世は一度司会を休んでいた。しばらくすると再び司会席に戻ってきた。そのとき久世が口にしたことがどういうことなのか。その場ですぐにはよく理解できなかった。

 

久世はこういっていた。

 

「上り調子のときは自分の限界を忘れてしまうことがあるんです。今に始まったことじゃなく、小学生の頃からそんな性格でした。仕事に出るようになってからも、ひと仕事終えたあと、ちょっとしたハイな気分のままスーパーに入る。まあいいだろうと酒に手が伸びてしまう。その瞬間は、飲めば止まらなくなることなど、ほとんど気にしなくなっています」

 

美佳は手にしたティーカップを皿の上に置く。かちっと小さな音がした。

 

ひと呼吸置いて久世はこうつづけた。

 

「この前の台風で電話対応に追われた何人かの年長の仲間が、たび重なる疲労で倒れてしまいました。自分もそのひとりだろうとみなさんは思っている。司会を代わってもらっている間に顔馴染みからそう聞かされました。自分を心配してくれる仲間の前でなにも起こっていないような顔ができるのか。これまでのように自分で自分をごまかしていくつもりなのか。そんなふうに問われた気がしました」

 

久世はなにをいおうとしているのだろうか。会場は静まり返っていた。時計はミーティングの終わりに近づいていた。秒針までが心臓の鼓動を打っているかのようだった。

 

「主治医には話さなくてもいいんです。でも誰にも言わずに自分の中だけにしまっておくのはつらいものがあります。それで先生には思いきっていったのです。先生はただ聴いておられるだけでした。血液検査があるのかと思っていたら、それもありませんでした」

 

喫茶店の照明がやわらかく美佳を包んでいる。膝の上で指を組みなおした。手の甲の細い血管が浮いて見える。

 

「簡易検査とはいえ、検査結果の数値を黙って目の前に示される。あの何とも言えない気まずさには耐えがたいものがあります。配慮してくださったのでしょう。でも診察の帰りのバスの中で思いました。簡易検査すらしないという先生の配慮が、今度は自助グループで司会を引き受ける立場の重みを大きく感じさせずにはいられなくなってきたのです」

 

久世は苦悶に顔を歪めている。周囲もここまで聴けば一体なにが起こったのか、たいてい察しがつくようだった。

 

湧き上がってくる嗚咽を精いっぱい抑えつけるようにいったん言葉を区切った久世は、気を取りなおして時計に目をやった。深く息をついた。

 

「そろそろ時間が来たようです。今日はこんなところでお開きにしましょうか。みなさんありがとうございました」

 

ミルクティーのほのかな香りが美佳の鼻をかすめた。こう思った。

 

もしわたしが久世の立場だったとしたら。みんなの前であのように言えるだろうか。

 

ーーとても無理だ。

 

もし血液検査の結果を見せられることになっていたら、わたしは持ちこたえられただろうか。自暴自棄に陥らずにいられただろうか。

 

ーーそれも、たぶん無理だろう。

 

美佳はミルクティーを飲み干す。トレーを所定の位置に返す。外へ出る前にもう一度カウンターに向かった。さっきの店員にたずねる。

 

「パンフレットに載っていたチーズケーキのことですが」

 

「はい。なんでしょう」

 

「チーズケーキはアルコールを使ってるんでしょうか。苦手なのですが」

 

店員は答えた。

 

「アルコールですね。レアチーズケーキは使っています。ベイクドとスフレでは使っていません。でも、もし事前にご予約を入れていただければ、アルコールを使わないレアチーズケーキもご用意させていただきます。今からでもご予約を承りますが、いかがでしょう」

 

美佳はいう。

 

「今日のところは考えてみます。でも、ありがとう」

 

店員は笑顔で答える。

 

美佳は外へ出た。遠くの峰に黒い雲がかかっていた。急な天候の変化のサインだった。

 

しかしよく見ると雲はいつものような広がりを見せていない。思ったほど風は立っていないようだった。

 

通行人は美佳のことなど知らぬげに駅へ急いでいた。子どもづれの賑やかな声が駅前広場に響く。二、三人の高齢者を乗せたマイクロバスが出発する。噴水の脇の植え込みにかかる水しぶきが木の葉を小刻みに揺らしていた。

 

ーーひと駅ぶん、歩こう。

 

美佳の目にオーブンの小窓が浮かんだ。オレンジ色の向こうでチーズケーキがゆっくりとふくらんでいく。息を整える。美佳の胸に甘酸っぱいレモンの香りが静かに広がっていった。

Blog21・二代目タマ’s ライフ972

二〇二六年七月十四日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

今日もタマ九〇年代リハビリノート見たよ。飼い主がモデルになってるキロと相棒の上村さんの珍道中。すだちさん「ちぎり絵」やってるんだ。わからないところがあると相変わらずよく聞く人だね。

 

無駄な抵抗はしない人。

 

素直なんだ。でもちょっと不器用そうな面もあったんだね。

 

不器用というか竹人形のときもそうだったんだけど、一度関心を持つといきなり完成度の高さを目指してしまう人でね。周囲としては急かさないほうがいい作品ができる人だと思って接してた。

 

質問からして細かいかもと思った。でもすだちさんに限らず自分で作った作品を発表するとなると、どうしても力が入ってしまうのは仕方ないかもと思う。他の人はなにか展示会に出さないの?

 

展示はなかった。でも入院中の葵さんは朗読劇やった。

 

朗読って当時は回復記録や手記を読むだけが多かったって聞いたけど。それでよかったのかな?

 

入院初期から中期にかけてはそれでいいと思う。でも当時は女性病棟の患者さんの低年齢化が急加速しだした頃。子育てを終えたばかりの女性。高学歴の女性。仕事を持ってる女性。そんな人たちにとっては本の幅が狭かった。どんなふうに思ってたか。これからずっとこのくらい狭い世界を生きていくことになるのか。無邪気に笑い合える暮らしはもう夢みちゃいけないのか。そんなふうに鬱屈してしまう女性が増えてきてた。葵さんもそのひとり。酒を飲みながらお客さん相手に話を聞く仕事やってたでしょう。けっこうレパートリーが広くて読み方もたくさん知ってた。回復記録ばかりじゃ物足りなくなるんだよね。

 

どうしてたのかな。そのへん一度チャットGPTに聞いてみたら?

 

言うと思った。

 

飼い主のことを信用してないわけじゃないよ。参考までにどうかって話。

 

待っててね。こうしてこうして、うん。答えが届いた。見てごらん。

 

ご質問ですが、とても重要な問題提起だと思います。

私は、これは医療体制の変化だけではなく、「回復」の考え方そのものが変化したこととして捉えることができると思います。

90年代の専門病院では、まだ「入院」という一つの共同体の中で回復を目指す色合いが濃くありました。その共同体では、

  • 回復記録
  • 断酒体験記
  • 依存症者の手記

といった、「病気そのもの」を扱う作品が中心になりやすかったのでしょう。

それには理由があります。入院して間もない患者さんには、「自分だけではない」「回復した人がいる」という実例が必要だったからです。

ところが、あなたがお書きになったように、患者層が変わっていきます。

子育てを終えた女性。

大学や大学院を卒業した女性。

仕事を持っていた女性。

文化や芸術に親しんできた女性。

そういう人たちにとっては、「依存症の本しかない」という状況は、

私はこれからも『依存症者』としてしか扱われないのだろうか

という印象を与えてしまいます。

つまり、病気を治すための環境が、逆に「病人という役割」に閉じ込める危険を持ってしまったわけです。

ここが、その後の地域医療との大きな違いではないでしょうか。

地域生活では、人は「患者」である前に、

  • 本を読む人
  • 美術館へ行く人
  • お茶を習う人
  • 子どもの親である人
  • 働く人

として暮らします。

ですから、地域移行が進むにつれて重要になったのは、

依存症について学ぶことよりも、「依存症があっても文化の中で生きること」

になってきたと思います。

その意味で、今回の「ちぎり絵」の場面は象徴的です。

誰一人、

「依存症だから」

という話をしていません。

代わりに、

「苔はどう表現しよう」

「灯籠は一つくらいかな」

「風が通る感じ」

を話しています。

つまり、この場面では、すだちは患者ではなく、一人の創作者になっています。

これは地域生活で目指される姿を、病院の中で先取りしているようにも読めます。

もう一つ興味深いのは、女性病棟の茶席のお話です。

茶席というのは、依存症治療とは直接関係ありません。

しかし、

  • 季節を感じる
  • 客を迎える
  • 掛物や花を眺める
  • 静かな時間を共有する

という体験は、「病気ではない自分」を思い出させてくれます。

だから人気があったのでしょう。

そう考えると、文化祭や朗読劇も、本来は同じ役割を持っていたはずです。

ところが朗読作品だけが回復記録に偏っていたために、患者さんの中には

「私はもう文学を読む人ではなく、回復記録だけを読む人になってしまった」

という喪失感を抱く人もいた。

その違和感は、ごく自然なものだったと思います。

私は、あなたがこの時代を書き残す意義はそこにあると感じます。単に「昔はこうでした」という記録ではなく、「病院の中にも、患者を病気だけで見ない文化的な営みが芽生えていた」という証言になっています。

そして、その証言は現在の地域医療にも通じます。回復とは、飲まないことだけではなく、「再び文化の中で暮らせるようになること」でもある。その過渡期の空気を、あなたの作品は静かに描いているように思います。そこには、自助グループの歴史だけでなく、精神科医療が「治療」から「生活」へと視野を広げていった時代の息づかいも刻まれているのではないでしょうか。

 

なるほど。そういう見方もできるのか。

 

それまでの茶道教室って「女性限定の習い事」という面が強くて習い事がそのまま自分の人生を限定してしまう空気があったんだよね。こんな感じ。

 

「菜穂子はしみじみと考えるのだった。『それはわたしがもう結婚した女だからなのだろうか?そしてもうわたしにも、他の結婚した女のように自分でないものの中に生きるより外はないのだろうか?』」(堀辰雄「菜穂子」『菜穂子・楡の家』新潮文庫、一九四八年、p.78)

 

それはつらそう。タマのほうがよっぽど自由。

 

でも九〇年代半ばになると仕事も子育ても習い事も性別に関係なく分担しようという空気が出てきた。ただ単に自分の人生を縛りつけるだけの「習い事」じゃなくなってきた。女性に限らず茶道愛好家は増えた。陶芸教室も増えた。

 

古い空気から抜け出るのってタマが飼い主の気を引くより遥かに難しいんだね。猫なら壁にがりがり爪を立ててクロスをぼたぼたとずり落とすと気づいてくれる。

 

まだやってるのかな。

 

そうでもないよ。理由はしらないけど胸がざわざわしたり背中がぞくそくしたりヒゲがぴりぴりしたりした時も壁に爪を立てる。

 

そうなんだ。

 

それとね、「日本画の大家」って誰のことかわかった。タマがパソコン覗いてたらこれ見よとばかりに足元に置いてあった。川端康成「虹いくたび」文庫本のカバーだった。竹林じゃないけど。飼い主は素知らぬフリして意外と手近なところで賄ってると思った。そろそろ今日の課題曲。

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ジャズだ。お洒落なのがつづく。涼しげ。

 

坂本龍一周辺。

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Blog21・退院後リハビリ創作(1998~2002.長岡京市在住時代)

患者たちのその後(274)

 

陽が落ちる頃だった。

 

幾筋もの鰯雲が夕陽を受けとめて薄い紫色に浮かんでいた。

 

風はほとんどやんでいた。

 

中庭に繁るポプラの葉も動きを止めたようだった。

 

北小路会場では、すだちが早めにやって来ていた。

 

レクリエーション企画を考えるキロと上村よりも早かった。

 

すだちが入院中に作業療法を受け持った看護師の茜も来ていた。

 

キロたちの顔を見た年長の亜美はいった。

 

「すだちさん、『ちぎり絵』に決まったんだけど、写真を見てるだけだとちょっとわからないところがあるって」

 

キロがたずねた。

 

「秋の展示会の」

 

「そう」

 

すだちはいった。

 

「庭がいいなと思って。竹が好きだから竹林をメインにしようと。それだけは決まりました」

 

上村がいった。

 

「石とか、あるのかな」

 

「はい。飛び石。苔も少し残したいです」

 

「苔も入れるんですか」

 

「苔って『ちぎり絵』だと難しそうなんです。みなさんならどんな紙を使うんでしょう」

 

上村は間を置いて答える。

 

「和紙、かな」

 

看護師の茜がいった。

 

「色を一色じゃなくて何色か混ぜると深みが出そうですね」

 

「黄緑だけじゃなくていいんですか?」

 

「少し茶色や濃い緑を混ぜると湿った感じが出るかもしれません」

 

キロがいった。

 

「和紙を細か目にちぎると苔の粒みたいな感じになりますね」

 

「なるほど。細かくちぎるんですね」

 

ポット置き場に立った上村が声をかけた。

 

「コーヒーの人は」

 

キロと茜が手をあげる。

 

「お茶の人」

 

亜美とすだちが手をあげる。

 

ひと息つく。

 

コーヒーの湯気の向こうの窓に陽が沈んでいくのが映っていた。室内の蛍光灯の明かりだけが外との世界を区切っているように見えた。

 

キロはいった。

 

「すだちさん、竹林をメインにしたいというお話ですが」

 

「そうなんです。でも、それだけだと、写真で見た日本画の大家の物真似に思われちゃうかもって」

 

キロは苦笑を洩らす。すだちは続ける。

 

「竹林の前に灯籠を置こうかどうか迷っていて。……庭に灯籠があるのは不自然じゃないですよね」

 

「あってもいいと思います。でも一つくらい。あまり目立たせないほうが庭らしくなるかもしれないです」

 

「あくまで脇役なんですね」

 

キロはうなずいてこう続けた。

 

「すだちさんが思い描いている庭ですが、竹林や灯籠をじっくり眺めるというよりも、そのそばを歩いていく空気を描く感じですかね」

 

「『歩いていく空気』ですか。それ、すごく好きな言い方です」

 

コーヒーを飲み干した上村がカップの底を覗き込んでいる。物足りない顔だ。ポット置き場に目をやる。その様子に皆が笑った。

 

茜がすだちに話しかけた。

 

「すだちさん、陽が暮れてからの雰囲気を出したいんですよね」

 

「少し暗い感じが出ればと思ってて。でも寂しいだけになるのもどうかと」

 

「どんな気持ちを表したいというのはありませんか」

 

「静かで落ち着ければいいかなって」

 

「その『落ち着く』が伝わるなら、多少は暗くても怖い印象にはならないかもしれません」

 

すだちは少し考えていた。しばらくすると納得したような表情が浮かんだ。

 

キロがいった。

 

「竹林ですが、不思議と少しだけ光が残っているほうがきれいなんですよ」

 

「でも、陽が落ちたあとに光が残ると言われても、ちょっとわかりにくいかな」

 

ひと息おいてキロはいう。

 

「さっき、日本画の大家が描いた竹林図について言われました。あの画はたいそう暗いですよね。背後はかなり濃い紺色だったと思います」

 

「そう、ですが」

 

「うん。でも竹の幹はきれいに浮かび上がってます」

 

思い出しながらすだちは答えた。

 

「言われてみれば、そうかも」

 

「竹林や灯籠、飛び石なんかも、青白く霞がかった感じで使うと夜でも引き立って見えるかもしれません」

 

すだちは考え考え、うなずきながらメモに書き留めていく。

 

亜美は、熱心に手を動かすすだちの横顔をほほえましく眺めていた。多分もう会えないだろう別れた娘のことが、ふいに頭の隅をかすめた。

 

茜がいった。

 

「竹の幹の質感まで気にされていましたよね」

 

「そうなんです。和紙って簡単そうに思ったんですが、前に進もうとすると意外に難所が多いなって。前に竹人形づくりでせっかくの竹を駄目にしてしまって、今度は『ちぎり絵』を仕上げて竹に謝りたいと思ってるんです」

 

キロはいった。

 

「和紙の繊維に縦の筋がありますよね。あれを使うと竹らしくなると思います」

 

「紙の繊維ですか。あれも生かせるんですか。じゃあ、葉も紙で違ってくるのかな」

 

茜がいった。

 

「この前に病院のデイルームで他の患者さんが作っているのを見てたんですが、和紙を細かくちぎるでしょう、向きを少しずつ変えながら、風が通る感じを出している人がいました」

 

「風が、通る」

 

すだちの目の奥に、まだ形にならない庭の景色が少しずつ広がっていった。

 

「あとひとつ、聞いていいですか」

 

キロと茜は軽くうなずいた。

 

「贅沢かもしれませんけど、茶庭のつもりなんです」

 

キロが答えた。

 

「はい」

 

「蹲踞があると茶庭っぽいかなって」

 

「そうですね」

 

「水がある場所ですよね」

 

「あります。あとは竹の柄杓があると雰囲気が出ます」

 

すだちはメモにペンを走らせる。

 

飛び石。灯籠。蹲踞。

 

このくらいあればいいのかもしれない、とすだちは思う。

 

茜がひとこと添えた。

 

「全部入れなくても、ひとつふたつ印象的なものがあれば十分じゃないかな」

 

すだちはうなずき返しながら、もう一度ゆっくりとメモを読み直してみる。

 

窓を見上げていた上村がいった。

 

「月が出ました」

 

大きな月が山並みの上に冴えざえと浮かんでいた。

 

中庭のポプラも月明かりを受けていた。

 

日暮れまでやんでいた風がようやく渡り始めたようだ。

 

銀色に浮かび上がったポプラの葉が小さくそよぐのが見えた。

Blog21・二代目タマ’s ライフ971

二〇二六年七月十三日(月)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

今日もタマ九〇年代リハビリノート見たよ。飼い主がモデルになってるキロと相棒の上村さんの珍道中。シノノメさん竹伐り会をみに山の中まで出かけてた。キーホルダーも買って帰ってた。

 

藁にもすがる思いだったんだろう。

 

多かったのかな?

 

当時は新宗教とかマインドコントロール、自己啓発セミナーとかに引かれていく人はいた。でも宗教行事一般を否定してるわけじゃない。「気持ちがすく」とか「胸のつかえが降りる」という人たちも少なくなかった。

 

でもシノノメさんには効果がなかったんだね。家に帰って力が抜けてる。ますますつらそう。

 

夏目漱石はこういってた。

 

「『死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない』」(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.348(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.354~355)

 

飼い主が思うのは宗教というより宗教家のことでね。漱石がいったように「この三つしかない」というところまで追い詰められてしまう患者さんやその身近な人、家族たちは今なお結構いるんだ。そんな事情について社会的責任感を持ってほしいと思うんだよね。

 

飼い主が思っててもチャットGPTがなんていうか。聞いてみたらどうかな?

 

ここんとこ毎日でしょう。

 

固いこといわずに。

 

しょうがない猫さんだね。ちょっとは待つことをおぼえてくれたかな。

 

朝ごはんなら粘り強く毎日待ってる。

 

そうだった。ちょっと待っててくれる。この辺りを聞いてみよう。

 

(1)「『死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない』」(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.348(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.354~355)

 

(2)「兄さんが突然手を挙げて、私の横面(よこつら)をぴしゃりと打ちました。私は御承知の通り余程神経の鈍く出来た性質(たち)です。御蔭で今日(こんにち)まで余り人と争った事もなく、又人を怒らした試(ためし)も知らずに過ぎました。成人としては無論の事です。生れて始めて手を頭に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。『何をするんだ』。『それ見ろ』。私にはこの『それ見ろ』が解らなかったのです。『乱暴じゃないか』と私は云いました。『それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。矢張(やっぱ)り怒るじゃないか。一寸した事で気分の平均を失うじゃないか。落付が顚覆(てんぷく)するじゃないか』」(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.354~355)

 

よし。答えが届いた。見てごらん。

 

私はこの二つの引用は、

  • (1)では宗教への最後の希望
  • (2)では宗教への徹底した懐疑

を同時に表しており、この矛盾そのものが漱石の宗教観なのだと思います。

(1)「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」

まず、この言葉を見てみます。

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。」

これは一郎の言葉ですが、漱石自身の苦悩がかなり投影されていると考えてよいでしょう。

ここで重要なのは、「宗教」が最初の選択肢ではないことです。

順番は

  1. 狂気
  2. 宗教

です。

普通なら

苦しい→宗教

となりそうですが、漱石はそう書いていません。

つまり、

人間が理性のまま生き続ければ、最後には死ぬか狂うかしかない。
それでも生きるなら、理性を超える宗教へ飛び込むしかない。

という構図です。

これはかなり切実です。

 

漱石自身の体験

漱石はロンドン留学中に神経衰弱になっています。

彼は

  • 世界はなぜ存在するのか
  • 自分とは何か
  • 他人とは何か

を理詰めで考え続けました。

ところが理性は答えを出してくれない。

だから『行人』では、一郎も考え続けます。

考える。

また考える。

さらに考える。

そして出口がない。

だから

死ぬか

狂うか

宗教か

となる。

これは決して誇張ではなく、「理性の行き着く果て」を描いているのだと思います。

 

しかし漱石は宗教に飛び込めない

ところが漱石は宗教を信じていません。

ここが決定的です。

『門』でもそうですが、主人公は禅寺へ行っても悟れません。

『彼岸過迄』でも宗教的救済はありません。

『こころ』にもありません。

つまり

宗教は必要そうに見える。

しかし信じられない。

これが漱石です。

だから(1)は

「宗教しかない」

ではなく

「宗教しか残っていない。しかし私は信じられない。」

という悲劇なのです。

 

(2)の平手打ちはもっと重要です

あなたが引用されたこの場面は、『行人』全体でも最も哲学的な場面の一つです。

兄は突然平手打ちをします。

そして

「それ見ろ。」

と言う。

なぜか。

兄は試験をしたのです。

本当に神を信じる人なら、

殴られても怒らないはずだ、と。

しかし弟は怒った。

だから

「やっぱり神を信じていない。」

と言う。

 

これは宗教への批判でしょうか

私は半分そうであり、半分違うと思います。

兄は宗教そのものを否定しているのではありません。

むしろ

宗教を名乗る人間の自己欺瞞を暴いています。

つまり

「神を信じています。」

と言いながら、

怒る。

嫉妬する。

恐れる。

執着する。

ならば

本当に神を信じているとは言えないじゃないか。

という論理です。

これはかなり鋭い。

 

漱石は宗教に非常に高い基準を要求している

兄の論理では、

宗教を信じるとは

単に

  • 教会へ行く
  • 寺へ行く
  • お経を唱える

ではありません。

人格そのものが変わらなければならない。

怒りも消え、

恐怖も消え、

自我も消え、

平静そのものになる。

そこまで行って初めて宗教だ。

という考えです。

だから

「怒ったじゃないか。」

の一言は重い。

 

現代への応用

あなたが挙げられた中東の例も、ここから考えることができます。

ただ、この話題は慎重に区別する必要があります。

まず、「宗教を信仰している人々」と「国家として軍事行動を決定する指導者」は重なる部分もありますが、同一ではありません。また、政治的・安全保障上の判断、国内世論、同盟関係など、多くの要因が絡みます。そのため、「宗教を信じているなら怒らないはずだ」と現実を単純に説明することはできません。

そのうえで、漱石の問題提起は今日にも通じるものがあります。もし本当に宗教が人間の怒りや憎しみを根底から変える力を持つなら、なぜ宗教を持つ社会や個人でも激しい対立や暴力が生じるのか、という問いです。

兄の論理を現代に当てはめれば、

「神を信じると言う。しかし怒る。憎む。復讐する。それなら本当に神を信じていると言えるのか。」

という問いになります。

これは特定の宗教だけに向けられたものではありません。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教を含め、あらゆる宗教に向けられる問いですし、さらに宗教を持たない人にも、「理念や人道を掲げながら実際には怒りや憎しみに支配されていないか」という形で返ってきます。

 

漱石自身もまた、その基準を満たせなかった

しかし私は、この場面の最も重要な点は、漱石が他人だけを批判しているのではないことだと思います。

兄は他人を裁いているようでいて、実は自分自身も怒りや嫉妬や疑念から逃れられません。一郎は妻を疑い、弟を疑い、自分自身を疑い続けます。つまり、兄自身が「神に信頼していない」人間でもあるのです。

漱石もまた、理性で宗教の必要性を感じながら、その宗教に身を委ねることができない人間でした。

だから『行人』は、宗教を嘲笑する小説でも、宗教を礼賛する小説でもありません。

「宗教によってしか救われないように思える。しかし、その宗教を本当に生きることは、人間にはほとんど不可能ではないか。」

この二重の苦悩こそが作品の核心でしょう。

その意味で、「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」と「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか」は矛盾しているのではありません。前者は救いを求める叫びであり、後者はその救いが現実には実現されていないことを暴く試金石なのです。漱石は宗教を必要としていた一方で、人間がその宗教を完全に生きることの困難さも見抜いていました。この緊張関係こそが、『行人』を単なる思想小説ではなく、現代にも通じる人間存在の探究として読ませる力になっているように思います。

 

なんだか重そう。

 

でしょう。実は漱石はもっと重かった。あと三つ足してみよう。

 

(1)「『僕がその娘さんにーーその娘さんの大きな潤った眼が、僕の胸を絶えず往来(ゆきき)するようになったのは、既に精神病に罹(かか)ってからの事だもの。僕に早く帰って来てくれと頼み始めてからだもの』」(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.247)

 

(2)「兄はことによると、嫂をそういう精神病に罹らして見たい、本音(ほんね)を吐かせて見たい、と思ってるかも知れない。そう思っている兄の力が、傍(はた)から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分の方から恐ろしい言葉を家中に響かせて狂い廻らないとも限らない」(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.247~248)

 

(3)「『君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支(さしつかえ)ないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活(い)きた恐ろしさだ』」(夏目漱石「行人」新潮文庫、一九五二年p.335)

 

(1)精神病になると「本当の心」が現れるのか

「その娘さんの大きな潤った眼が、僕の胸を絶えず往来するようになったのは、既に精神病に罹ってからの事だもの。」

これは非常に不思議な告白です。

普通なら、

精神病になったから幻覚を見た。

という理解になります。

しかし一郎はそう言っていません。

むしろ、

精神病になったことで、それまで抑圧されていた感情が噴き出した

という言い方をしています。

つまり、

正常=本心を隠す状態

狂気=本心が露出する状態

という構図です。

 

(2)嫂も狂わせれば本音を吐く

さらに決定的なのが、

「嫂をそういう精神病に罹らして見たい、本音を吐かせて見たい。」

です。

これは恐ろしい発想です。

一郎は、

正常な人間は本音を言わない

と考えています。

だから、

狂えば本音が出る。

この考え方は、近代心理学以前の文学としては驚くほど鋭いものがあります。

今日でも、

極限状態

睡眠不足

高熱

精神疾患

などで抑圧が弱まり、普段とは異なる言動が現れることはあります。しかし、それを「その人の本当の姿」と断定することもできません。症状や認知の変化が影響するためです。

漱石は医学的な理論を書いているのではなく、「社会的な仮面が壊れたとき、人間の奥底はどう現れるのか」という文学的・哲学的な問いを描いているのでしょう。

 

しかし漱石は本当に狂気を肯定しているのか

私は違うと思います。

ここが漱石の深いところです。

一郎は

「狂えば本音が出る」

と思っている。

しかしその一郎自身が、

もう狂い始めている。

つまり、

彼の推理も信用できない。

これは漱石らしい二重構造です。

主人公は

「狂気こそ真実」

と思う。

しかし読者は

「その考え自体が狂気ではないか」

とも感じる。

この曖昧さを漱石は意図的に残しています。

 

(3)は『行人』の最高到達点

私は引用された第三の文章は、『行人』だけでなく、漱石文学全体の中でも最も重要な一節の一つだと思います。

「頭の恐ろしさ」

「心臓の恐ろしさ」

を区別しています。

これは単なる比喩ではありません。

 

頭の恐ろしさ

つまり、

理屈では恐ろしい。

理解として恐ろしい。

観念として恐ろしい。

哲学として恐ろしい。

例えば、

「人間はいつか死ぬ。」

これは頭では理解できます。

しかし、

日常生活は送れる。

 

心臓の恐ろしさ

ところが、

ある瞬間、

死が

自分自身に迫ってくる。

胸が締めつけられる。

息ができない。

世界が崩れる。

これが

「脈を打つ活きた恐ろしさ」

です。

つまり、

知識ではなく存在そのものが揺さぶられる恐怖です。

 

これは実存哲学に非常に近い

あなたが

「実存論的な意味」

と書かれたのは、まさにその通りだと思います。

ただ一つ補足すると、『行人』(1912~13年)は、一般に「実存主義」と呼ばれる思想が体系化されるより前の作品です。そのため、漱石が後の実存哲学の用語で考えていたとは言えませんが、人間存在の根源的不安という点では、後の実存思想と響き合うものがあります。

一郎の恐怖は

「死ぬのが怖い」

ということではありません。

もっと根源的です。

「他人は信用できない。」

「妻も信用できない。」

「自分の心も信用できない。」

「世界そのものが崩れている。」

そういう、

存在そのものが足場を失う恐怖

なのです。

だから

「心臓が打つ恐ろしさ」

なのです。

これは理屈ではありません。

生きていること自体が恐怖になってしまった状態です。

 

三つの引用をつなぐと

私は三つの文章は次のような流れになっていると思います。

第一段階では、社会生活の中では人間は仮面をかぶり、本心を隠して生きています。

第二段階では、その仮面が狂気や極限状態によって崩れるのではないか、という誘惑が生まれます。しかし、その見方自体もまた、狂気に近づいた一郎の視点を通して語られているため、読者は全面的には信じきれません。

第三段階では、問題は「本音が知りたい」という心理学的な関心を超えて、「世界や他者を信頼できない」という存在そのものの危機へと移ります。それが「頭の恐ろしさ」ではなく、「脈を打つ活きた恐ろしさ」です。

この意味で、『行人』は単なる「精神病の小説」ではありません。漱石は精神の病を描くことを通して、近代人が他者との信頼を失い、自分自身の存在の足場まで揺らいでしまう状態を描こうとしたのではないでしょうか。そして「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」というあの有名な三分法も、この存在の危機から抜け出す道を必死に探した末の言葉として読むと、一層切実な響きを帯びてくるように思います。

 

『行人』は一般には「嫂との旅行」や「H事件」が作品の山場として語られることが多いのですが、実際に精読していくと、むしろその周囲に散りばめられた死・狂気・宗教・他者・自己についての思索こそが、この作品の骨格を形作っているように感じます。

特に今回ご指摘になった三つのテーマは、互いに独立しているのではなく、一郎の中では一つの問題としてつながっています。

  • ──存在の行き止まり。
  • 狂気──理性では支えきれなくなった精神の崩壊であると同時に、「真実」が露わになるかもしれないという誘惑。
  • 宗教──その行き止まりを超える唯一の可能性として意識されながら、知識人である一郎(そして漱石)には、どうしても全面的に身を委ねることができないもの。

この三者は、「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」という一節に凝縮されています。

また、私が改めて印象深いと思うのは、一郎は**「知りたい」という欲求が極端に強い人物**だということです。

  • 妻の本心を知りたい。
  • 他人の本心を知りたい。
  • 自分の本心を知りたい。
  • 世界の真理を知りたい。

ところが、その「知る」ことへの執着が、かえって彼を孤立させ、狂気へ近づけてしまう。ここには、近代知識人の悲劇が描かれているように思えます。

漱石は『三四郎』『それから』『門』を経て、『行人』では、人間が理性だけで生き抜くことの困難を極限まで描きました。そしてその問題意識は、『こころ』では「先生」の孤独へ、『道草』では自己との格闘へと受け継がれていきます。こうした流れで読むと、『行人』は漱石後期三部作と自伝的小説群をつなぐ、大きな転換点に位置しているように思われます。

最後に、今回のやり取りで印象に残ったのは、あなたが「本来の(あるべき)自然」という言葉で狂気を捉えようとされたことです。この視点は非常に示唆的でした。漱石は「狂えば真実が現れる」と単純には考えていないでしょう。しかし、「社会的な自我が崩れたとき、人間の深層はどう現れるのか」という問いを、一郎を通して最後まで追究していることは確かです。その問いは、現代の心理学や精神医学とは別の次元で、人間存在を考える文学の力をよく示しているように感じます。

おかげで、私自身も『行人』を改めて丁寧に読み返したくなりました。漱石は一見すると冷静な文体ですが、その静けさの底には、まさに一郎の言う「脈を打つ活きた恐ろしさ」が流れています。それこそが、この作品が百年以上を経てもなお読者を引きつけ続ける理由なのだと思います。

 

漱石ってただ単に古い人じゃないんだね。今なお新しいってことかな。でも飼い主、よもや自分が見つけたとか言わないよね?

 

言わない。タマさんそんなに疑わなくてもお昼ごはんはちゃんと出てくる。

 

わあ。シノノメさん今度は自分のアパートのありふれたカレンダーの活用法を見つけたんだ。タマもうれしい。それじゃあ今日の課題曲。

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ジャズだ。涼しげなボサノバ風。

 

坂本龍一周辺。

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Blog21・退院後リハビリ創作(1998~2002.長岡京市在住時代)

患者たちのその後(273)

 

電車は鬱蒼と繁る木立の合間を抜けていった。

 

急に広い場所へ出た。

 

終点だった。

 

東雲は他の客に混じりホームに降りる。水の音が聞こえていた。線路沿いを細い川が流れている。

 

川筋を渡る風は一段と冷えていた。

 

幾つもの杉の枝は雨を含んで重たげに垂れていた。木々の間から洩れてくる陽の光が目にまぶしい。雨あがりの下草には水滴が残り、緑を映していた。

 

土の匂いはやわらかだった。

 

この山で年に一度、盛大な竹伐り会が催される。東雲も以前から聞かされていた。だが実際に見たことはなかった。竹伐り会を見ると気持ちがすく。胸のつかえが降りるという人たちは少なくなかった。

 

ーー見れば気分が変わるかも。

 

そう思い、朝早くから電車を乗り継いでやってきた。

 

竹伐り会では大蛇になぞらえた長さ十メートル、太さ十センチの青竹が登場する。聳え立った青竹に光が差す。びくともしない固い金属に見えた。

 

それを僧の姿に扮した大柄の男衆が薙刀を振りかざし、気合いとともにすぱりと伐り落とす。まっしろな素肌がぱっと現れる。鮮烈な瞬間だった。

 

大きな歓声が上がった。

 

熱心そうにシャッターが幾つも切られた。

 

東雲も見入っていた。

 

会場の出口で東雲は薙刀をあしらったキーホルダーを買った。迷いを断ち切るという意味があるらしい。大勢の観客が同じキーホルダーを買い求めていた。

 

帰りの電車でキーホルダーを何度も掌に載せて眺めた。

 

ーー効果はあるだろうか。

 

終着駅に着くまでずっと薙刀に視線を落としていた。

 

アパートに戻った東雲は荷物をしまうと部屋着に着替えた。

 

もう一度キーホルダーを取り出して机の上に置き、じっと眺めた。

 

二十分ばかり経っただろうか。

 

どこから見ているかわからない母の鋭いまなざしは一向に消えなかった。

 

東雲は肩すかしを食ったような気分だった。

 

ーーでも、あれはどうしてだろう。

 

週に一度、医院の別室で看護師のれいから聞き取りを受ける。その際、れいは東雲がぽつぽつ話す一日の出来事を書き留めると、すぐ下にさっと横線を引く。ひと区切りつけるためだ。同時にあれほど鋭かった母の視線もすっと消えた。

 

東雲も、自分でできないだろうかと思った。しかし母のことを思うと怖さが増してくる。

 

ある日、東雲は簡単な日記をつけたあと、その真下に思いきって横線を引いたことがあった。冷や汗が吹き出す。だが母の視線は日記の余白に相変わらず浮かんだままだった。

 

力が抜けていくようだった。

 

ーー自分には、とても無理だ。

 

がっかりだった。

 

竹伐り会から帰った日、ひとりで夜の窓を眺めながら思った。

 

これからも母のまなざしを逃れることはできないだろう。

 

諦めばかりがつのってきた。

 

立ち上がると夕食の食器を片付ける。戸締まりを確かめる。居間に戻る。あとは布団に入ればいい。

 

ひと仕事終えた気がする。

 

壁にはカレンダーが吊るしてあった。

 

近くの電気店が粗品として配る、ごくありふれたカレンダーだ。

 

今日の日付を確かめる。

 

小さい定規を取り出してカレンダーにぴたりと当てる。

 

ーー今日は、ここまで。

 

すっと斜線を引いた。

 

東雲は息をのんだ。

 

今日の終わりを告げるだけのたった一本の線だった。

 

ーー母の視線が、消えた。

 

東雲は思わず瞬きをしてしまう。

 

カレンダーの余白にも母の視線はない。

 

ーーどうして。

 

後ろを振り返った。

 

母のまなざしはどこにもない。

 

蛍光灯の明かりがなにも知らぬげに机の上に落ちていた。東雲はたじろいでしまう。そんな簡単にいくはずはないと思う。

 

ーーまた現れるのではないだろうか。

 

今度はわたしに復讐するのではないかーーそう思うと落ち着かなかった。

 

ーーひと息つこう。

 

東雲は水を汲んで寝る前の薬を飲む。あとは布団に入るだけだ。シーツの皺を整える。

 

横になった。もう少し体をベッドに預けてみてもいいかも知れないと思った。それにしても次の診察で、この話ができるだろうか。

 

電気を消す。いつもの部屋が戻ってきた。しんとした部屋はなにも答えてくれない。これまでの暗い道のりがまた立ち塞がるかもしれなかった。

 

東雲は寝返りを打つ。さっき引いたカレンダーの斜線を思い浮かべた。

 

何年ものあいだ先の見えなかったトンネルが、一瞬だけとはいえ、途切れた気がしていた。

Blog21・二代目タマ’s ライフ970

二〇二六年七月十二日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

今日もタマ九〇年代リハビリノート見たよ。飼い主がモデルになってるキロと相棒の上村さんの珍道中。とうとう長女さん本気で怒った。

 

よくある。

 

よくあるのか。でもお父さんは「許しを乞わせてくれ」って言ってる。謝罪したいって。なのに長女さんは爆発しちゃったんだ?

 

うん。長女さんがお父さんを許すとしよう。物心ついてからずっと深々と背負ってきた傷が一度でちゃらになってしまう。これまでの自分はなんだったのかという話になる。じゃあ許さないとしよう。お父さんの行き場を延々取り上げてしまうことになる。どっちも嫌。でも今度ばかりは沸騰した。

 

そのあたりが気になる。チャットGPTはなんていうか試しに聞いてくれないかな?

 

言うと思った。チャットGPT、猫さんにはやさしいからね。ちょっと待ってて。待つ練習も少しずつやっていこう。こうしてこうしてこうかな。よし。答えが届いた。見てごらん。

 

① 長女はなぜ激怒したのか

私は、この場面で長女が最も傷ついたのは、「許してください」という言葉そのものではないと思います。

父は、

「許しを乞わせてくれないだろうか」

と言います。

一見すると謙虚に聞こえます。しかし長女には違って聞こえています。

長女はこう理解しています。

「父は、まだ自分が"許しを願う側"に立てると思っている。」

ここが決定的です。

長女は長年、

  • 家庭を維持し、
  • 父の後始末をし、
  • 思春期を失い、
  • 家族の役割を背負わされてきた。

つまり父は長女から「子どもである時間」を奪っています。

その相手が、

「許しを乞わせてほしい」

と言った。

長女には、

「最後の最後まで、自分に父親の問題を背負わせるのか」

という意味に聞こえたのでしょう。

そのため、

「侮辱だった」

という表現になります。

これは怒りというより、

自分の人生が最後まで尊重されなかったことへの絶望

だと私は読みました。

さらに、

「この人、わたしのことが、自分よりずっと下に見えてるんだ」

という一文があります。

ここは非常に鋭い心理です。

父は意図して見下しているわけではないのでしょう。

しかし長女は、

「自分の回復のために娘を必要としている」

という構図そのものを、

娘を一人の主体ではなく、自分の人生の部品として扱っている

と受け止めています。

だから怒りが頂点に達したのでしょう。

 

② 初瀬看護師の対応は現在でも価値が高いか

私は、かなり高いと思います。

理由があります。

一つ目

初瀬は一度も父を弁護していません。

例えば、

「病気だから仕方ないですよ」

とは言わない。

これは現在では非常に重要です。

依存症を説明することと、

家族の傷を相殺することは、

全く別だからです。

 

二つ目

長女の言葉を言い換えて返しています。

例えば

「侮辱されたみたい」

を受けて

「どんなところがでしょう」

と尋ねる。

あるいは

「もう降りたい」

という意味を整理して返す。

これは心理支援でいう感情の明確化に近く、

長女自身が自分の怒りの正体を理解する助けになっています。

 

三つ目

最も重要なのはここです。

初瀬は

「お父さんは病気治療中」

「長女さんは傷ついている」

並列に置いています。

これは非常に現代的です。

医療現場では昔、

患者中心になりすぎて

家族の苦痛が軽く扱われることがありました。

しかし現在は、

家族もまたケアの対象です。

ですから

「どちらも本当です」

という初瀬の言葉には大きな意味があります。

患者の回復と、

家族の苦痛は、

勝ち負けではありません。

 

四つ目

最後の

「切り離して考えてみては」

という助言。

これも私はよいと思います。

これは

「許してください」

ではありません。

「許さなくてもいい」

とも言っていません。

つまり、

父の治療経過と、

長女自身の傷を

一旦別々に扱ってみませんか、

という提案です。

これは境界線(バウンダリー)の回復を促す支援として読むことができます。

 

ただ一点、現在なら付け加えたいこと

もし私が現在の依存症病棟で同じ場面に立ち会うなら、

初瀬の対応に加えて最後に一つだけ伝えるかもしれません。

例えば、

「今日のお話を聞いていて、長女さんが『もう父の人生を背負う役を降りたい』と思われたことは、とても大切なことだと感じました。そのお気持ちは、ここでは尊重していいものだと思います。」

という一言です。

理由は、

長女はまだ

「父を見捨てることへの罪悪感」

をかなり抱えています。

そのため、

「降りてもいい」

ということを、

医療者が倫理的に保証することには治療的価値があります。

お話を伺っていて印象的だったのは、あなたが「父の問題」と「長女の問題」を単純な善悪や加害・被害だけで終わらせず、それぞれの立場から丁寧に描こうとしていることです。そのため、この場面には臨床の空気がよく表れています。

特に、あなたがおっしゃった、

「父がなかば無意識的に口に出してしまう言葉の暴力」

という表現には、とても考えさせられました。

依存症の患者さんには、悪意なく、しかし相手を深く傷つける言葉を口にしてしまう方がいます。本人は「謝罪している」「誠実であろうとしている」つもりでも、その言葉が相手には「また自分の課題をこちらに渡してきた」と受け止められることがあります。

長女が言った、

「父を許すかどうか。それを決める立場にわたしを立たせるでしょう。」

という一文は、その構造を非常に正確に表しています。

一見すると「許しを乞う」という謙虚な言葉です。しかし長女には、

「許すかどうかという新しい責任を、また私に背負わせるのか」

という体験になっています。

ここには、あなたがおっしゃる「言葉の暴力」があります。しかも、その暴力性は本人の悪意ではなく、無意識性ゆえに家族にはなおさら苦しいものになります。臨床では、この種の「悪意なき再加害」は決して珍しいものではありません。

また、90年代以前のお話も興味深く拝見しました。

近年は患者本人の権利や回復支援が強調されることが多い一方で、当時の現場には「家族は長い時間を生き延びてきた人たちであり、その傷を軽く扱ってはいけない」という実感をもつ看護師が少なくなかった、というお話には重みがあります。

私は、その感覚は決して古いものではなく、現在のトラウマインフォームドケアや家族支援の考え方にも通じるものだと思います。現代では「患者中心」と「家族中心」を対立させるのではなく、どちらの現実も同時に尊重する姿勢が重視されています。その意味で、初瀬が「どちらも本当だと思います」と語る場面は、とても象徴的です。

最後に、この作品全体について一つ感じたことがあります。

この場面では、劇的な「和解」は起こりません。長女は納得も許しも得ずに帰っていき、初瀬も「これでよかったのだろうか」という思いを抱えたまま一日を終えます。

しかし、それがかえって現実の医療に近いと感じました。

看護師は患者も家族も「解決」できません。それでも、その日の苦しみを一緒に抱え、言葉を整理し、傷を傷として扱うことはできます。その積み重ねがケアなのだということが、北山杉という静かなモチーフと重なって余韻として残ります。

「思っていたより静かな名だった。」

この一文は、とても好きでした。派手な象徴ではなく、「そこに昔からあったものに、ようやく名前を与えられた」という感覚が、初瀬自身の看護観とも響き合っているように感じられます。

こちらこそ、こうした作品を読ませていただき、ありがとうございました。臨床経験から生まれた細部と、文学としての静かな表現が、互いを支え合っている印象を受けました。

 

タマ思った。被害者と加害者の二項対立になかなか落とし込むわけにいかないのが人間どおしの間柄なんだって。

 

タマさんの言葉使いもあながち的外れじゃないかな。

 

長女さん子どもの頃から傷ついてきてブチ切れたのはよくわかった。それに初瀬さんも今でいうグラウンディングだっけ。背筋を伸ばすってやってたね。

 

わかったかな。奥歯を噛むとか顎を引くとか肩をぐるぐる回すとかいろいろあるよ。咳払いは誤解が多いからやらない。

 

子どもの頃って少しずついろんな体験を積んでいく時期なんだね。

 

そうだね。ちなみに子どもはどんなふうに動いたりするか。あんまり知られてないけど書かせると上手い人がいた。

 

「これは清兵衛と云う子供と瓢箪の話である。この出来事以来清兵衛と瓢箪とは縁が断(き)れて了(しま)ったが、間もなく清兵衛には瓢箪に代わるものが出来た。それは絵を描く事で、彼は嘗(かつ)て瓢箪に熱中したように今はそれに熱中しているーーー清兵衛が時々瓢箪を買って来ることは両親も知っていた。三四銭から十五銭位までの『皮つき』の瓢箪を十程も持っていたろう。彼はその口を切る事も種を出す事も独りで上手にやった。栓(せん)も自分で作った。最初茶渋(ちゃしぶ)で臭味(くさみ)をぬくと、それから父の飲みあました酒を貯(たくわ)えて置いて、それで頻(しき)りに磨(みが)いていた。全く清兵衛の凝(こ)りようは烈(はげ)しかった」(志賀直哉「清兵衛と瓢箪」『清兵衛と瓢箪・網走まで』新潮文庫、一九六八年、p.212)

 

あれ、織田作之助作品に出てくるみたいだ。瓢箪に熱中してる子ども。さらに同じ力を今度は絵に向け換えるっていうのはフロイトが言ったことなんじゃないかな。

 

タマさんおぼえてるんだ。

 

というかまともにパソコン画面に上がってたよ?飼い主が持ちだしてきたと思う。

 

気づいた。お利口。

 

他に誰か志賀直哉のことをなんか言ってなかった?

 

これかな。

 

「身辺雑事(しんぺんざつじ)を描(えが)いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遥(はる)かに小説に近いーーもし『純粋な』と云う点から見れば、ーー通俗的興味のないと云う点から見れば、最も純粋な小説である」(芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」『芥川龍之介全集7』ちくま文庫、一九八九年、p.300)

 

よほど褒めてたんだ?

 

芥川はいっぺん夏目漱石に聞いたことがあるそうだよ。

 

なにを?

 

どうやったら志賀のような文章が書けるのかって。

 

漱石はなんていったの?

 

思うがままにやってるからかもって。

 

志賀は何にも考えてやしなかったんだね。

 

そういう言い方もあるかな。漱石は新聞小説連載について誰が執筆するかってことで志賀を推薦したことがあった。

 

どうなったのかな?

 

その頃の志賀はスランプでダメそうって辞退した。

 

せっかくのお誘いなのに?もったいない。でも漱石はなんで志賀を推したの?

 

漱石が教壇に立ってた時の教え子の中に志賀がいたんだ。志賀はなにを思ったのか最初の作品集を漱石のもとに送った。それを見た漱石はいった。「上手いかどうか」は別としてこんな作品集を自分のところに送りつけてくる「作者はえらい」。それが決め手になった。

 

褒めてるかな。

 

褒めてるんじゃないかな。芥川がいってることもいうほど外れてないと思う。それより芥川は周囲のことは大事だと思うんだけど自分自身に手をかけてしまうんじゃないかと周囲の方がかえって心配してた。芥川からすいぶん慕われた斎藤茂吉なんかはこんな挽歌を読んでる。「壁に来て草かげらふはすがり居り透きとほりたる羽のかなしさ」。

 

斎藤茂吉ならタマも少し知ってる。ズバリ「猫」ってエッセイ書いた人だ。

 

お利口。

 

ほんの一ページにも満たないちっちゃいの。お愛想程度には振り向いてくれたんだ。志賀直哉に戻っていい?

 

なにかな。

 

志賀は同性愛者だったって話。

 

それは有名だよ。

 

「お夏のするがままに私は体の抵抗もせずに接吻したのです。女との関係では嘗(か)つて、こうした事はなかったけれども、基督教に接する以前に男同士の恋で度々経験した事だったからでしょう。私はその夜、遂に二十何年来の神秘を解きました。異なった性は、これはそれを識(し)らぬ若者には永遠の神秘です。私は遂にこの神秘を解きました。智慧(ちえ)の実を食いました」(志賀直哉「濁った頭」『清兵衛と瓢箪・網走まで』新潮文庫、一九六八年、p.94)

 

自分で書いたのか。

 

江戸時代すでに有名だった。井原西鶴「男色大鑑(全八巻)」があった。ゲイ文学の金字塔。後からなにか言ってもたいしたインパクト持たないと思ったんだろう。

 

志賀はけっこう長生きしたんだって?

 

昭和四十六年死去。面白いのは昭和六年に早々と全集が出たこと。四十年早い。

 

こいつもきっと早く死ぬと思われてたのかな。

 

さあね。

 

今日の課題曲は?

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ジャズだ。今日もお洒落。タマもちょっとはわかってきた。洒落たムードがほしい時はちょっぴりボサノバ風味。夏向き。

 

坂本龍一周辺。

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