Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

2021-01-01から1年間の記事一覧

Blog21・欲望する諸機械

その後どうなっていくのか。わからないことばかりで後味のよくない年末。自分も何かやろうとするも半永久的病身では限界があり思うようにいかないのが現状。とはいえ群を抜いて気になった報道は「特にない」というしかない。凡庸性に支配されている気配があ…

Blog21・非定住民たちの永遠回帰「ガドルフの百合」

ガドルフは「憐(あわ)れな旅のもの」である。「みじめな旅のガドルフ」と記述されてもいる。朝から歩き通しだが次の町まではまだ二十五キロ以上ある。途中、烈しい雷雨に襲われる。その時の雷雨の余りの過酷さに接してガドルフはこう思う。 「(もうすっか…

Blog21・パロディは非=パロディへ転化する「飢餓陣営」

軍事行動の最前線で大ダメージを受けたバナナン軍団。「辛(から)くも全滅(ぜんめつ)を免(まぬ)かれ」、マルトン原に残る古い穀倉の中に臨時幕営(ばくえい)を設置。しかしその穀倉も安全とはいえず、すでに砲弾で破損している箇所が見受けられる。と…

Blog21・<共同体の一員であるまえに>「実験室小景」

以前取り上げた「フランドン農学校の豚」で、<教師・生徒>の側の思考と<豚の感情>の側との弁証法を通して小説が進行していくのを見た。両者の弁証法なしに作品「フランドン農学校の豚」は進行することができなかった。とすると作品「フランドン農学校の…

Blog21・<戦乱・貧困・密造酒>「税務署長の冒険」

物価高騰と打ち続く飢饉、さらにあちこちでまかり通る低賃金重労働のため、どの地方へ行っても多くの人々が一家ともども疲弊・餓死に直面していた時期。アメリカ発の株価大暴落が引き金となって世界中に広がった不景気の嵐。日本では大正から昭和に至ってな…

Blog21・<戦乱と貧困>の産物「ざしき童子のはなし」

ザシキワラシとは一体何ものか。出現の仕方はそれぞれ幾つかのバリエーションに区別することができるが、いずれの目撃譚にも当てはまる同一条件がある。その条件というのは<戦乱と飢饉と>である。ところで「ザシキワラシ=ざしき童子(ぼっこ)」について…

Blog21・信仰と抹消の問題「烏の北斗七星」

或る寒冷地の田んぼが舞台。一面雪化粧している。農耕地に住む烏たちは烏の義勇艦隊(ぎゆうかんたい)を編成し、山に住む山烏の襲来に備えていた。というのもその年はまたしても飢饉に見舞われ烏と山烏との間で戦闘が行われていたからである。もっとも、作…

Blog21・どちらでもありどちらでもない<山猫軒>「注文の多い料理店」

寓話がカバーする範囲には一定の限界がある。なぜならその言語使用の系列はいつも作者の置かれた時代に束縛されている限りで理解可能だからである。ところが言語というものは作者の置かれた時代が過ぎてもなお死語化しない限り何食わぬ相貌で同じように使用…

Blog21・<贈与>としての北上山地「鹿踊りのはじまり」

降りそそぐ夕陽は今日の終わりを確実なものにする。だからといって明日がやってくる確実な根拠にはなり得ない。そんな或る日の夕暮れ時、疲れて居眠っている<わたくし>は秋の風から「鹿踊(ししおど)り」の話を聞いた。 「夕陽(ゆうひ)は赤くななめに苔…

Blog21・親友の死とトラウマの行方「鳥をとるやなぎ」

慶次郎(けいじろう)はだしぬけに<私>に言う。「煙山(けむやま)にエレッキのやなぎの木があるよ」。作品「鳥をとるやなぎ」はニーチェのいう「原因と結果との取り違え」から始まる。それは二点ある。その第一。<私>は慶次郎に詳細を尋ねてみる。 「『…

Blog21・北上山地の白日夢「種山ヵ原」

あと一日を残して夏休みが終わる。達二は宿題を済ませたし、蟹(かに)も捕ったし、木炭(すみ)を焼く遊びもやった。もう飽きたと思い手持ちぶたさのようだ。そこで「家の前の檜(ひのき)」に寄りかかってぼうっと何か考えていた。すると、ついうとうとし…

Blog21・大正時代のダブルバインド「林の底」

<オリジナル>という観念を取り外して読むこと。読者にとってよく知られた民話「とんびの染屋」譚をすっかり忘れて読むこと。そこから始めなくては始まらない。もっとも、類話はいくつもある。しかしなぜそれらの多くが東北地方から北海道、さらには樺太、…

Blog21・地獄行きのマラソン競争「蜘蛛となめくじと狸」

<私>が「山猫(やまねこ)」から聞いた「伝記」形式で作品「蜘蛛となめくじと狸」は始まる。「蜘蛛と、銀色のなめくじとそれから顔を洗ったことのない狸」の三者は「みんな立派な選手」だった。そして彼らは「実に本気の競争をしていた」そうだ。しかし。 …

Blog21・差異と監視と永遠回帰「蛙のゴム靴」

或る夏の暮れ方。カン蛙・ブン蛙・ベン蛙という三疋の蛙たちが林の中を流れる堰(せき)から続く<つめくさ>の広場に座って「雲見(くもみ)」を楽しんでいた。人間たちが「花見(はなみ)・月見(つきみ)」をするように蛙たちは「雲見(くもみ)」をする…

Blog21・同時に二人の<私>「おきなぐさ」

通称「おきなぐさ」。岩手県の方言で地域別に幾つかの呼び名がある。その一つが「うずのしゅげ」。開花が終わり実がなりその実が開くと「おきなぐさ」は白く細い無数の毛でおおわれ、まるで「お爺(じい)の髭(ひげ)」に見える。そこから「ウジノヒゲ・ウ…

Blog21・転倒前夜のイーハトーブ「グスコーブドリの伝記」

グスコーブドリはイーハトーブの森の中で生れた。妹の名はネリといった。ブドリが十歳、ネリが七歳の年、イーハトーブは飢饉に襲われた。翌年もまた飢饉に陥り食物不足は大変深刻なレベルに達した。兄妹の父も母も食物を探し廻ったが二人とも行方不明になり…

Blog21・豚はなぜ金になる「フランドン農学校の豚」

作品冒頭、フランドン農学校の生徒は豚を「触媒(しょくばい)」として認識する。「媒介者」でも構わない。「水やスリッパや藁(わら)をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる」からだ。 「『すいぶん豚というものは、奇体(きたい)なことに…

Blog21・昭和へのディストピア「北守将軍と三人兄弟の医者」

創作上、架空の都市が設定され命名されるのはありふれている。だが架空の都市が「首都」ととして設定されている場合、なぜあえて「首都」として設定され<ねばならなかった>のかという問いはいつも出現して脳裏を離れない。作品「北守将軍と三人兄弟の医者…

Blog21・媒介項としての詩「かしわばやしの夜」

或る日の夕暮れ、清作は畑で「稗(ひえ)の根もとにせっせと土をかけて」いた。太陽が山裾(やますそ)に落ちた頃で周囲の野原は奇妙な淋しさをたたえてしんとしている。とはいえ清作には常から見慣れた光景に過ぎない。この作品の不意打ちは夕暮れから月が…

Blog21・昭和初期への亀裂「十月の末」

嘉(か)ッコと善(ぜん)コの家は隣同士。どちらも農家でずいぶん凍てた晩の翌朝、周囲には霜が降りていた。二人とも季節の変化を目の当たりに感じとり大はしゃぎしている。しばらくすると嘉ッコは自分の祖父が大酒飲みで祖母がぼやいていたのを思い出し、…

Blog21・近代日本の挫折「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」

ペンネンネンネンネン・ネネムは<ばけもの世界>の住人である。ネネムの父は<森の中の青ばけもの>だった。ネネムがまだ幼かった頃、飢饉の年が打ち続いたためふらふらになりながら食物を探しに出かけ、そのまま遂に帰宅することはなかった。ネネムの母も…

Blog21・移動の価値/価値の移動「気のいい火山弾」

岩手県では「牛」のことを「ベゴ」と呼ぶ方言がある。そのくらい大きな黒い石が「かしわの木のかげ」にあった。いつ頃からあったのかわからないほどだ。別の作品冒頭にこうある。 「ずうっと昔(むかし)、岩手山が、何べんも噴火(ふんか)しました。その灰…

Blog21・大循環は語る「風野又三郎」

九月一日の早朝。他の生徒の誰よりも早い時間、「おかしな赤い髪(かみ)の子供がひとり一番前の机にちゃんと座(すわ)っていた」。さらにその姿形について。 「変てこな鼠(ねずみ)いろのマントを着て水晶(すいしょう)かガラスか、とにかくきれいなすき…

Blog21・精神安定剤<藤蔓>「タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった」

タネリが外へ走り出そうとした時、お母(っか)さんはこう注意する。 「『森へは、はいって行くんでないぞ』」(宮沢賢治「タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった」『ポラーノの広場・P.246』新潮文庫 一九九五年) タネリは聞いて納得しているの…

Blog21・春へ速度へ「若い木霊」

宮沢賢治は「春」に限って特別な思い入れをしていた、と考えている読者がいったいどれほどいるだろうか。疑問におもう。「春」だけを取り上げて特別扱いしていたなどと、そんなふうに考えたことはただの一度もない。逆にどんな季節を与えられたとしてもその…

Blog21・蠍座への意志「よだかの星」

動物は<いじめ・差別・排除>など知りはしない。ところがそれらは擬人化されるや途方もない排除の構造が出現する。第一にそれは「容姿」に関わる。「よだか」の場合。 「ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合(ぐあい…

Blog21・呆れたやつらの弁証法「鳥箱先生とフウねずみ」

或る日のこと、一個の鳥かごが自分で自分自身についてほかでもない「先生」であると目覚める。もっとも、「一疋の子供のひよどり」がその中に入れられた時に始めて「鳥かご」は「鳥かご」であると自覚するわけだが。しかしさらに「先生なんだなと」気づくに…

Blog21・<子ども><小猿><山人>通信「さるのこしかけ」

昼と夜との<あいだ>に何かが起こる。作者の意図とは関係なく作者自身が作品の中で無意識のうちに何かを起してしまうことさえ稀ではない。「さるのこしかけ」も例に漏れず「夕方」に設定されている。 「楢夫(ならお)は夕方、裏の大きな栗(くり)の木の下…

Blog21・新しい<近代>「ひのきとひなげし」

或る初夏の頃。ひなげしたちは真っ赤な花を咲かせ風に揺れながらそれぞれ言い合っていた。どうしてもみんな燃え上がるようにもっと赤く美しく咲き誇りたいと言ってなかなか譲らない。そばに立っている大きなひのきはそんなひなげしたちを見下ろしてからかっ…

Blog21・躁鬱するジョバンニとトシ子の死「銀河鉄道の夜」

銀河鉄道の中で<鳥捕り>に出会ったジョバンニ。鳥捕りはジョバンニの持っている切符を見ていう。「ほんとうの天上へさえ行ける切符だ」と。 「『おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どころじゃない、ど…