2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き 北周(五五六年~五八一年)の武帝(ぶてい)は鶏の卵(かひご)を大いに好んで食べていた。毎食ごとに多くの卵を召し上がっていたので、その総数は数年間で桁違いの数にのぼった。なお、…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 漢の元帝の時代、皇帝は大臣・公卿の娘の中から容姿美麗で魅力的な女性ばかり選び出して宮中に置かれていた。その数は四、五百人ばかり。のちにはもっと増え、すべての女性を拝見される…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 隋の大業(だいげふ)の頃(六〇五年~六一六年)、「河南(かなん)=黄河南部」に或る一家が暮らしていた。夫婦には姑(しうとめ)がいた。その妻は常からやたらと姑が憎くてならなか…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、「莫耶(まくや)」という「鉄(くろがね)ノ工(たくみ)」=「鍛冶職人」がいた。莫耶が生きていた頃、国王の后は夏の暑さをしのぐためいつも鉄(くろがね)の柱を抱いていら…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 北斉の時代(五五〇年〜五七七年)、梁(りやう)という富豪がいた。臨終の時、妻子を呼んでこういった。「私は生涯、従者とともに馬を大切に取り扱い育ててきた。長年にわたって用いて…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 唐の時代、「魏郡(ぎぐん)」(今の中国河北省魏県南端部)に「馬(ば)ノ嘉運(かうん)」という人物がいた。貞観六年(六三二年)正月の或る日。嘉運は昼間ずっと家の中にいたが、日…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 「東陽(とうやう)」は今の中国浙江省金華道。或る時、東陽に顔烏(がんう)といって幼少期から親を大切にしている人物がいた。 愛する父の死去に伴い顔烏は父の墓を築くことにした。…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、煮た粥(かゆ)をたくさん用意して「長安(ちやうあん)ノ市(いち)」の門前を行き交う人々に振る舞っている嫗(おうな)がいた。古くから市(いち)は様々な人々が出入りする…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、一人の猟師が海辺まで山の崖が突き出しているところへ行き、鹿を狩ろうと待ち伏せていた。本朝部には類話があり以前取り上げた。「巻二十六・第九話・加賀国諍蛇蜈島行人(かが…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 隋の時代、天水郡(てんすいぐん=今の中国甘粛省天水市)に鷹楊郎将(ようやうらうしやう=軍の将軍職の一つ)を務める姜略(きやうりやく)という人物がいた。若い頃から鷹狩りを大い…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 兗洲(えんしう)の都督(ととく)を務める季寿(きじゆ)という官吏がいた。「兗洲(えんしう)」は今の中国華北地域中心部。河北省・山東省の一部を含む。「都督(ととく)」は政務並…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 長安の年中行事で、元日(ぐわんにち)以後、互いの家に宴席を設けてともども交歓会を開くことになっていた。宴会場は持ち廻りで、それぞれの家々を順番に廻ってくる。或る時、長安の東…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 唐の時代。「河東(かとう)」は今の中国山西省永済県東南部。或る時そこに「柳(りう)ノ智感(ちかん)」という人物がいた。貞観(六二七年~六四九年)の初頭、「長挙県(ちやうきよ…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 唐の時代、長安に殷(いん)ノ安仁(あんにん)という富豪がいた。以前から慈門寺(じもんじ)の僧を敬っていた。義寧(六一七年〜六一八年)の初頭、安仁の家に客人が泊まったことがあ…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 唐の時代。「侍御史(じぎよし)」を務める「逈璞(けいはく)」=「遜逈璞(そんのけいはく)」という人物がいた。「済州(さいしう)」の出身。「済州(さいしう)」は今の中国山東省…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 唐の貞観(ぢやうぐわん)の頃(六二七年~六四九年)、魏王の役所で「長吏(ちやうり)」=「役人の管理・監督官」を務める「韋(ゐ)ノ慶植(けいしよく)」という男性が長安に住んで…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 周の時代、宣王の臣下に伊尹(いゐん)という大臣がいた。伊尹には一人の男子がおり名を伯奇(はくき)といった。「形㒵端正(ぎやうめうたんじやう)」=「極めて端正な美少年」。伊尹…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 春秋時代の晋に献公(けんこう)という国王がいた。国王には三人の王子がおり、第三の皇子の名を申生(しんせい)といった(脚注によると「孝子伝」では長子)。母の名前は斉姜(せいき…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、長安(ちやうあん)に一人の女性がいた。気立のよい美麗な女性だった。この女性には夫がいたが、夫には敵(かたき)がいた。或る日、夫の敵(かたき)が家にやって来た。夫を殺…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、魯洲(ろしう)に兄と弟との二人の兄弟がいた。魯洲(ろしう)は今の中国河南省魯山県。兄は父の嫡男。弟は父と後妻との間にできた次男。最初の父母ともに亡くなり、家には二人…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、「江都(がうと)」に孫宝(そんぽう)という男性がいた。「江都(がうと)」は今の中国江蘇省揚州市。若い頃に一度死んだが身体はまだ暖かく、四十余日後に生き返った。「四十…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、「陳公(ちんこう)ノ夫人(ぶにん)」という女性がいた。「豆廬(づる)ノ氏(うぢ)」=「豆廬寧の一族」の一人。「芮公寛(ぜいこうくわん)」ノ姉。いつも心に良きことを願…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 隋の時代。庾抱(ゆはう)という男性がいた。長江以南出身の貴族で幼少期から学問を志し、兄と共に秀才として知られていた。大業(だいげふ)九年(六一三年)、「楊洲(やうしう)」(…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 いつ頃のことだったか、震旦(しんだん)=古代中国に張敷(ちやうふ)という女子がいた。生まれてやっと一歳になる頃、母を亡くした。張敷は成長してちょうど十歳になった時、家人(い…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 会稽洲(くわいけいしう)は今の中国浙江省紹興。或る時、曹娥(さうが)という女子がいた。父は管絃を好む趣味人。その善悪は別として、いつも友人らと誘い合ってしょっちゅう遊びに出…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 或る時、震旦(しんだん)の或る所に欧尚(おうしやう)という男性がいた。幼少時から父母を愛しとても大切にして暮らしていた。父の没後、欧尚は亡父の墓所のそばに廬を造って籠り、朝…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 震旦部に舞台も人物も天竺(インド)とする説話が載っているのは編纂中に起きた齟齬だろう。類話を参照すると「宇治拾遺物語」ではそのまま「天竺」が採用されており除外するしかない。…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 周の時代。重病人が出たため或る高名な医師が呼び出された。医師はすぐさま承諾して重病人のもとへ訪れると約束した。その日の夜、医師は夢を見た。不可解なことに、聞かされた病が二人…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 漢の時代、或る三人兄弟がいた。長男の名を田達(でんたつ)、次男の名を田旬(でんじゆん)、三男の名を田烟(でんえん)といった。父母亡き後も三人は共に一つの家で暮らしていた。家…
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。 「震旦(しんだん)ノ会稽山(くわいけいざん)」は今の中国浙江省紹興の南部にある山。五世紀、会稽山に弘明(ぐみやう)という一人の僧がいた。幼少期に出家しきちんと戒律を守り、と…