2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
ルイスはおもう。「霊魂」すなわち「欲望する種々の流れ」を「肉体から離し、休むところもなく野原の上を走っている」わけだがそのとき周囲の風景は「夢のようでぼんやりしている」と。 「『こうして霊魂を肉体から離し、休むところもなく野原の上を走ってい…
欲望の一元論。懐かしい言葉だ。人間は「いたるところで諸機械なのである」。そして作品「波」から「そして」と続けてみよう。 「『そして僕も、信じ難いことだが、他人の生涯に入りこみもする』」(ヴァージニア・ウルフ「波・P.57」角川文庫) どういう…
スーザンは嫌な思い出のすべてを記憶の奥底に埋めてしまおうと考える。ネヴィルは幼い頃、バーナードとスーザンの二人を捉えて「あいつらはふらふら垂れている針金ーーーいつもからまってばかり」、と評した(固定した)。「ふらふら垂れている針金」の一方…
絵画ならもっと一挙に述べることができたに違いない。しかしウルフは小説を選んだ。音楽なら絵画よりより一層一挙に語ることができただろう。しかしウルフは小説を選んだ。しかもウルフは小説の中で絵画や音楽のほうを小説よりも有利な表現形式だと述べても…
作品「波」では各章の冒頭部分にそれぞれ「波」の描写がある。それは「波」についての描写だろうか。それとも「波」とそれを取り巻く周囲の描写を含めた描写だろうか。もし描写を文字通り受け止めるとすればそれは「波」とそれを取り巻く周囲、と考えること…
ラテン語の動物への生成がある。それを実践するのはバーナードだ。 「『口にしていると語尾が左右にはねる』バーナードが言った。『尻尾をふるんだ。尻尾をばたばたさせる。群がって空気をくぐって動いていく。こっちへ行ったり、あっちへ行ったり。一緒にか…
生成変化の主題は作品「波」において絶頂に達するかのように見える。しかし個々の「波」はそのつど一回限りのものとして世界に刻み込まれる流動的でなおかつ可動的な境界線としての波動でしかない。一回限りの瞬間的な「波」としては大変貴重だ。しかし個々…
習慣。それは人間を賢明にするだけでなく、この上なく怠惰にする。微妙で多彩で豊穣で生産的なものをみすみす取り逃がしてしまって平気でいることがしばしばある。 「私たちが一連の鉄槌の打撃を聞くとき、それらの音は純粋感覚としての不可分のメロディーを…
まず、特定のコミュニケーションの用法に関して習得され習慣化していなければならない。それは必ずしも日本語だけとか英語だけとかに限ったものでなくてもよく、身振りなどを通してその意図が翻訳できうる言語圏におけるコミュニケーションであればどの言語…
リリーは夫人の幻影を「いつも作り直さなければならないのだった」。 「すぐに間に割って入り、彼女をたしなめて目覚めさせるとともに、最後には強引に注意を引きつけるものだから、夫人の幻影(ヴィジョン)はいつも作り直さなければならないのだった」(ヴ…
リリーは身体への信頼に戻る。 「そもそも肉体に宿る感情を、一体どうすれば言葉にすることができるというのか?たとえばあそこの空虚さを、どのように表現すればよいのか?(リリーの眺める客間の踏み段は恐ろしく空虚に見えた)。あれを感じ取っているのは…
リリーは芝生の端にイーゼルを立てる。絵を描くためのキャンバスの位置を固定する。しかしキャンバスの位置はいつも必ず固定されていなければならないものなのだろうか。むしろ人間は、いつも固定されていないキャンバスを頭の中に持っていて、それを常に既…
ラムジー夫人は詩に気をとめる。 「意味はよくわからなかったが、その言葉の流れは音楽にも似て、外から聞こえているのに夫人の心の声のようにも響」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.208」岩波文庫) 不可解におもわれるかもしれない。「外から聞こえ…
次にラムジー夫人は「亡霊」に《なる》。相変わらず変身は速い。 「まるで自分が亡霊(ゴースト)にでもなったように、二十年前のひどく寒かったテムズ河沿いの家にすべり込み、想像の中で、なつかしい応接間の椅子やテーブルの間をめぐり歩いてみた。そうや…
子どもたちは大人になり始めるともう子どもだけが持っている広大な感受性を急速に失っていく。ナンシーは海辺で遊びながら目に入るものを自在に拡大してみたり縮小してみたりして面白がっている。 「向こうの淡く縞(しま)模様のついた砂地では、足がひょろ…
ラムジー夫人はけっしてペシミストではない。かといって楽観主義者でもない。彼女はしばしば彼女自身の人生と向き合って人生というものについて考えにふけっていることがある。周囲から見るとその姿がどこか悲観的なペシミストに見えるというに過ぎない。 「…
メイドの一人でスイス人のマリーは故郷の話をする。「山がとてもきれいなんです」。ラムジー夫人は瞬時に反応する。 「その話を聞いた途端、ちょうど陽光の中を飛んできた鳥の翼が静かに閉じる時、羽根の青さが明るい鋼(はがね)色から柔らかな紫に変わるこ…
リリー・ブリスコウは画家として「わたしにはこう見える」と頭の中で主張する。たとえ現実は違っていても。しかし「わたしにはこう見える」以上、その風景を偽って描くことは「誠実な描き方とは思えな」いとしか思えない。いわゆる超越論的な見地に立ってい…
タンズリーは冴えない哲学者である。たぶん普段から学生らにも馬鹿にされている。タンズリー自身、そのことをある程度察しているのだろう。そのぶん、大学から離れたところで、タンズリーは落ち着いてラムジー夫人ではなくラムジー夫人の言葉について考える…
ラムジー夫人は子どもたちのことを実によく観察している。 「この子はまだ六歳だったが、一つの感情を別の感情と切り離しておくことができず、喜びや悲しみに満ちた将来の見通しで今手許(てもと)にあるものまで色づけしてしまわずにいられない、あの《偉大…
資本の流れは、ではなぜ、資本の「流れ」として述べることができるのだろうか。それは「分離・分裂」することもまた同時に可能である。「創造的」という言葉で有名なベルクソンはこう述べる。まず、「流れ」について。 「《生命とは、発達した有機体を媒介し…
あいにく猫には投票権がない。のら猫にはなおさらない。元ノラのタマとしてはそれもまた気にかかる要素である。いずれにしても飼主に一任するほかない。その間、タマは寝ている。カーテンの影に隠れて、カーテンからややはみ出しつつ、寝て待っている。しか…