2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧
元弘三年(一三三三年)の千早赤坂城攻め。紛らわしい名前が色々出てくる。その一人が「長崎四郎左衞門(ながさきしろうざえもん)。「太平記」では始めに「長崎孫四郎左衛門尉泰光(ながさきまごしろうざえもんのじょうやすみつ)」として登場するため、後…
平穏な時代には刑罰のための鞭も朽ち果て、君主を諫める太鼓も使われずに苔すら生えてくる。 「刑鞭(けいべん)も朽ちはて、諫鼓(かんこ)も打つ人なかりけり」(「太平記1・第一巻・一・P.39」岩波文庫 二〇一四年) そうある箇所は「和漢朗詠集」から…
康安一年(一三六一年)の七夕(たなばた)で佐々木道誉は足利義詮を自邸の茶会へ招き、前々から義詮と約束していた歌会を反故にされた細川清氏(きようじ)。道誉と清氏とは幾つかの所領を巡って以前から対立していたことと重なった上に将軍義詮からも疑惑…
暦応一年(一三三八年)の秋、佐々木道誉一党は紅葉狩りの帰路、門跡寺院・妙法院に火を放ち全焼させた。暦応三(一三四〇年)年十月、道誉の上総国(かずさのくに)山辺郡(やまのべのこおり)への流罪が決定した。上総国(かずさのくに)山辺郡(やまのべ…
康安一年(一三六一年)、将軍足利義詮は七夕(たなばた)の日に細川相模守清氏(ほそかわさがみのかみきようじ)の館で七十番歌合の会に参加する約束だった。清氏はそれに相応しい宴遊の準備を整えていた。諸々の珍膳を用意し、歌詠みに秀でた風流人らも呼…
佐々木道誉の「婆佐羅(ばさら)」ぶりはどこまでもエネルギッシュな実践の連続である。それゆえ、やることなすこと全般に渡って実に生々しく、一方で天井知らずの輝きに満ち、もう一方で底無しの深淵を湛えている。或る時、道誉の一族若衆らが紅葉見物に出…
文和一年(一三五二年)。「八幡(はちまん)の戦い」で活躍した山名師氏(やまなもろうじ)は、拝領していたものの実際に支配していなかった若狭の「今積(いまづみ)」(今の福井県小浜市内)の実権を承認してもらおうと何度か佐々木道誉のもとへ訪れる。…
南北朝期の茶会における特徴について触れた。それはさらに次のように描かれてもいる。 都にいる各国の大名たち、そして将軍補佐役から政務・軍事を司る長官、裁判所長官、財務・不動産関連を司る役所の長官、それらの補佐役・書記局長や一般の役人まで大勢で…
南北朝期の茶会は今の茶会と随分異なっていた。だからといって当時の代表的書物「太平記」にすべてが書かれているわけでは勿論ない。それを知るための資料の一つとして、例えば「喫茶往来(きっさおうらい)」がある。短い書面のやりとりだが、その前半は掃…
或る時、震旦(しんだん)の蒲洲(ほしう)に仁寿寺(にんじうじ)と寺があり、そこに道孫(だうそん)という僧が住んで修行に励んでいた。「蒲洲(ほしう)」は今の中国山西省永斉県。道孫は少年時代から慈悲心が広く深いことで早くから知られ、蒲洲の郷人…
「楚辞」に次の文章がある。 「百神翳其備降兮 九嶷繽其竝迎 皇剡剡其揚靈兮 告余以吉故 (書き下し)百神(ひゃくしん)翳(おお)いて其(そ)れ備(とも)に降(くだ)り 九嶷(きゅうぎ)繽として其(そ)れ並(なら)び迎(むか)う 皇剡剡(こうえんえ…
晋の献公(けんこう)の皇子・申生(しんせい)は継母・驪姫(りき)による毒殺計画で国が滅びてしまうのを避けるため、自分一人が死ねばよいと考えて周囲の進言の意味を承知しつつも自害した。 「自(みづか)ラ此ノ事ヲ糺(ただ)サバ、麗姫必ズ罪(つ)ミ…
或る日、下野国(しもつけのくに=今の栃木県)を俗人が歩いていると、巨木にできた虚(うつほ)=洞(ほら)の中から一匹の大蛇が頸(くび)を差し覗かせているのが見えた。俗人は「何を見ているのか。鬱陶しいやつ」と思い、大蛇の頸(くび)目掛けて箭(や…
災害救助の現場で活躍する犬の姿はテレビ報道を通してよく見かける。しかし盲導犬の場合はそもそも目立たない活躍ぶりであるにもかかわらずもっと身近な日常生活の中でずいぶん多く見かける。ほんのわずかな違いに敏感に対応する。今に始まった話ではない。…
洛陽で騒乱が起きた時、坂東の武士が一斉に駆けつけたことがあった。或る同盟の武士が所有する馬の中に日頃からとりわけ信頼している名馬がいた。同盟する武士はその馬に向かっていう。 「畜生といえども心あるなら聞いてくれ。このたびは何らかの事変が勃発…
高齢者ドライバーによる自動車事故が多発している。さらに事故発生時の記憶について被告人の記憶が定かでないという事例があまりにも多過ぎる。にもかかわらず対策はのろのろ運転のままずるずると夏休みを迎えようとしている。一方、車がまだ馬車だった古代…
或る時、李広(りくわう)という武芸にすぐれた者がいた。李広の知らないうちに一匹の虎が現れ、李広の母を殺してしまった。たまたまそれを見ていた人が李広に事情を話した。びっくりした李広が家に戻って確かめてみると既に母は虎に殺されて死んだ後だった…
「食欲・性欲・簒弑=君主殺し」というありふれた三大欲望はその量的増大に比例して増大する。ところがその同じ「食欲・性欲・簒弑=君主殺し」というありふれた三大欲望は、或る地点を越えるや否や全然ありふれていない「依存症」へ転化する。ただ、この場…
日本中世。遠江国(とほたふみのくに・今の静岡県)の或る山里を管轄する事務官の家の主人は、当時としてはとても賢明な人物として知られていた。賢明という言葉のシニフィアン(意味するもの)=文字言語は同じでもシニフィエ(意味されるもの)=意味内容…
かつて中国の山奥で長年修行に没頭している聖人がいた。密教系の修行者で山岳地帯に籠ってもう何年経ったかわからない。聖人のそばに仕えて身の周りの世話は支えているのは通例どおり護法童子(天童)のみ。真言密教系の伝説によくあるように、聖人は空中に…
「今昔物語」や「宇治拾遺物語」の中でいつも重要な役割を果たす蛇。タブー視される愛欲との関連で出現することがほとんど。一方、イニシエーション(通過儀礼)の一環として登場人物が直面する動物で多いのは虎。与えられた試練が乗り越えられた場合、虎は…
上古の日本神話を見ると予言的な「詞・呪」の行使は男性ではなく女性に主導権があった。「古事記」の中のエピソードで、八十神(やそかみ)に追われた大穴牟遅(おほなむぢ)神と婚姻し、大穴牟遅神を呪法によって守護してやるのは須佐男命(すさのおのみこ…
江戸時代、台風襲来の時期はだいたい二百十日・二百二十日と決まっていた。それがなぜか二十日を過ぎて三十日になった頃、一部の高齢者を除くほとんどすべての人々が経験したことのない大風が江戸を襲った。特徴は暴風雨の凄まじさばかりでなく、それが「竜…
政府の要人が耐え難い上司だった場合、その部下はどのように振る舞えばいいのか。例えば紀元前五四八年の中国。君主の荘公は臣下の崔杼(さいちょ)の妻と密通を重ね、そのたびに崔杼の妻の前で崔杼を散々馬鹿にして罵りはしゃいでいた。政治手腕もとても君…
諸国行脚の修行僧が嵯峨(さが)から京(みやこ)へ向かう途中、夕立に合い、仁和寺の六本杉の木陰へ避難して晴れ間を待った。雨はやみそうにない。仕方なくその夜は仁和寺の本堂に寄りかかって夜明けを待つことにした。その真夜中。すでに雨はやんだのか、…
以前、人間の言葉を話す猫について「耳袋1・巻の四・猫物をいう事・P.321〜322・平凡社ライブラリー 二〇〇〇年」から引いて述べた。他に、相手の言葉が理解できなくてはまず習得不可能と思われる「術」を学んだという話がある。それは猫からではなく…
大型イベントは開催する準備期間だけに限ってみても巨額の資金が要請される。日本では南北朝時代、何度も繰り返し行われた大嘗会の強行が上げられる。黒々と積み重なりのしかかる動かない暗雲のように全国民に負担を強いる目出たくない行事として陰々滅々た…
蔓延防止措置あるいは緊急事態宣言に伴って支給されるはずの「給付金」。しかしなぜか支給されない場合が多発している。質素・倹約に励んでいても支給されない。励んでいなくても支給されない。それが日常化してきた。なぜなら、その理由の一つ、といっても…
シャーマニズム研究では見逃せない「招魂(しょうこん)」の儀式。師の霊魂はどこへ行ってしまったのか。ともかく、古代人の宇宙観がどのような構造を持っていたのかを推し量るための資料として見ておこう。 「帝告巫陽曰 (書き下し)帝(てい) 巫陽(ふよ…
放浪の旅の長期化の要因が同僚たちの劣等感(ルサンチマン)から果てしなく湧き起こってくる讒言(ざんげん)・陰口(かげぐち)だったためだろう、打ち続く漂泊の旅も鬱屈した心情ばかりで虚空を彷徨っているかのような状態に陥る。激しく憔悴し心身ともに…