2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
サン=ルーの機転によって互いの呼び方をようやく「あなた」から「きみ」へ変換することに成功する。こうある。 「そんな会食の一夜、私はブランデ夫人にまつわる滑稽な話をみなに聞かせたくなったが、話し出したとたんに口をつぐんだ。すでにサン=ルーがその…
ロベール(サン=ルー)と<私>との関係は「きみ」と「ぼく」と呼び合える関係である。にもかかわらずロベール(サン=ルー)の友人たちも同席する場面であるため、一旦両者は互いに相手を「あなた」と呼び合うぎくしゃくした気まずそうな関係に陥ってしまっ…
サン=ルーたちと夕食をとるため<私>は街路をホテルへ向かう。通り過ぎる家々の前で立ち止まって中を眺めたり再び歩き出したりする。「暗い路地に入りこむ」時など「突き上げる欲望がしばしば私の足を止めた。いきなり女があらわれて、その欲望を充たしてく…
サン=ルーは<私>の友人だが同時にドンシエール駐屯地の人気者でもある。ドンシエール駐屯地の兵営は軍隊の兵営であり男性しかいない。だからサン=ルーは年齢性別を問わない社交界の人気者だっただけでなく男ばかりのドンシエール連隊の中の人気者でもあっ…
<私>は永遠に眠っているわけではない。その日その日で不眠の夜を差し挟むようなことがあったにせよなかったにせよ、多くの場合、朝になると「眠りが終焉を迎える」。目覚める。といっても、いつもてきぱき起き上がると限ったわけではなく布団から出ようか…
深い眠りから覚めてほぼ日中程度の意識状態が戻ってくるまで、「しばらくは、自分自身がただの鉛の人形になってしまった気がする。もはやだれでもないのだ」とプルーストはいう。「もはやだれでもない」にもかかわらず<だれか>ではあるような状態。 「そん…
プルーストはいう。「昼間にやるはずだったことが、眠りの到来とともに夢のなかでようやく成就することもある」。ほとんどすべての読者もまた経験があるのではと思われる。言い換えると、「眠りこむときの屈折を経たうえで、目覚めているときにやるはずだっ…
慣れない場所で初めて眠ることになったとき「私の夢に出てきたもろもろのイメージは、ふだん私の眠りが利用する記憶とはまるで異なる記憶から借用してきたものとなった」。そして「私の夢の新たな流れが修正されたり維持されたりする」とプルーストはいう。…
ドンシエールの兵営にあるサン=ルーの部屋に移った<私>。朝早く窓から見える景色はのどかな田園風景だ。プルーストはその風景を「お隣の女性ともいうべき」と書き込む。霧がかっている。サン=ルーの部屋と同じ高台の丘陵地帯にあるためその丘は「未知の女…
結局サン=ルーの部屋で睡眠をとることになった<私>。サン=ルーが帰ってくるまで横になる。部屋のドアを開けようとすると「なかからなにか動く音が聞こえてきた」。部屋へ入って見ると暖炉の火が燃えている。「動く音」の正体について「火はじっとしている…
サン=ルー(ロベール)はゲルマント公爵夫人の甥であると同時にドンシエール駐屯地の軍人(下士官)でもある。上流貴族階級であるにもかかわらずニーチェとプルードンを愛読する社会主義者を自任する知識人であり、そのため他の学生たちと一緒だと言葉遣いや…
フランソワーズの話について戻る必要性というのは次の箇所で述べられている。ジュピアンから<私>が聞いた話によると「フランソワーズは私のことをろくでなしと断じたうえで、なにかにつけ私にいじめられたと言い張ったという」。ほんの数行前に「当時の私…
認識マシンの挫折。そういってしまえばそれだけで終わってしまいそうな箇所が続く。しかし、もしそうだとして、だから一体、挫折したのは誰か。差し当たり<私>だということはできる。だが、そういうときの<私>とは誰なのだろう。主題としては<覗き見>…
ラ・ベルマが演じるラシーヌ「フェードル」に<私>が途方もない興奮を感じたのはもはや数年前の話。ところが今やラ・ベルマ「が」演じる「フェードル」と聞かされても何一つ価値を感じない。それは<私>が或る意味で成長したのかそれとも鈍感になったのか…
神話化されている「ゲルマント夫人の暮らし」。それは「別荘、ベニョワール席、日毎のパーティー」など夫人の移動に従って、少なくとも<私>にとって、次々と移動する神話である。この段階で<私>はまだ「神秘」としてのゲルマント夫人について何一つ知ら…
或る日。ゲルマント公爵が夫人と外出しようとしていた時、<私たち>も出かけようとしていて両者はばったり出くわした。<私>は思う。ゲルマント公爵は「きっと夫人に私の名も告げたにちがいない。しかしそんなことで夫人がはたして私の名を覚えて、私の顔…
いつも先に神話化されているゲルマント夫人は「すでにコンブレーの教会でも、ゲルマントの名の色彩やヴィヴォンヌ川のほとりの午後の色彩とは水と油のように相容れない頬をともなって私の目の前にあらわれ、一瞬の変貌によって私の夢をうち砕いた」ことがあ…
フランソワーズたち召使いの部屋で一九〇〇年代初頭の労働運動の話題が出た時のこと。フランソワーズは主人についていう。「あたしたちを駆けずりまわらせる主人」。そう書く一方でプルーストは、<私>と母とが別室で食事を待っている時に母が口にした言葉…
パリに戻った<私>と祖母、そして女中のフランソワーズ。ゲルマント家の館に付属するアパルトマンに住むことになった。そこで「第三篇・ゲルマントのほう」のほとんど冒頭に近い箇所でプルーストが問題にしているのは「名」についてである。この場合はゲル…
季節は変わる。バルベックの滞在客はすうっと波が引くように日常生活へ戻っていき出した。だが支配人はいつも同じ態度を取っていなくてはならない。「個人的に立派な身なりをすること」を忘れない。すると「活気のないシーズンにホテルに感じられる窮乏を一…
人間関係では始めの<間違い>といっても厳密な意味で正解と誤解とがあるわけではない。むしろ「正解/誤解」はいつも揺れ動いている。なんともかんともどちらとも言いがたいものだ。しばしば言われる言葉に「どちらかでなければならない」というステレオタ…
プルーストは「日によって」アルベルチーヌの顔が変わると書いている。「流謫(るたく)の身を悲しんでいるように見え」たり、「紫がかったシクラメンのようにな」ったり、「背徳的」にも、「不健全」にもなると。ただ単にそう見える怪しげな女性だというこ…
アルベルチーヌの言葉を読み違い怒らせてしまったらしいと気づいた<私>。しかし、納得できる理由を得られず釈然としない。プルーストはアルベルチーヌの態度の変化に類似した例としてノルポワの意図的手法を上げているがノルポアの場合はあくまでも意図的…
アルベルチーヌは娘たちの一団の中で特に美しい女性というわけではない。<私>は何度かアルベルチーヌに会うたびにそれがわかってきた。娘たちの一団に限らず、思春期にはありがちな女性の一人といっても嘘にはならないだろう、というくらいの、ごくふつう…
アルベルチーヌの顔の特徴の一つ。「強情そうな鼻の先」。それは<私>が「ここ数日、アルベルチーヌを想いうかべたときに失念していた点である」。いつも何もかも覚えているわけではないし一時的に「失念していた」としてもおかしくはない。しかしそのすぐ…
バルベック滞在時を描いた思春期に属する箇所から、すでにもう何度か<監視・監禁>のテーマが出現しているのを見てきた。以後たびたび出てくるテーマではあるのだが、それは往々にしてどのような過程を描くのかについてここで一旦触れておきたい。というの…
次のセンテンスの書き出しは嫌味を込めて書かれたものでは全然ない。プルーストはごく普通のことしか言っていない。或る人を思い出すとはどういうことか、というより、何が前提となっているか。「もはや以前のすがたを覚えていないのだから、ある人を想い出…
プルーストは「思春期」について「完全な固定化が生じる以前の時期」と規定している。この場合「固定化」されるのは人々の身振り(輪郭・表情・言葉遣い・抑揚・テンポなど)全般でありそれらすべての「制度化」を意味する。この時期を過ぎればもう人間の顔…
ヴェネツィアへの憧れを口にする<私>。カルパッチョやヴェロネーゼといった画家が活躍した時代(十五世紀後半〜十六世紀後半)のヴェネツィアの風景画が<私>の頭にはある。十九世紀末から二十世紀初頭にかけての風景とはまるで異なる部分が大いにありは…
或る日の朝。<私>はジゼルを見ようとした。するとたまたまジゼルに話しかけようとして<私>に背中を向けたばかりのアルベルチーヌが見えた。だから<私>が見たのはジゼルの顔ではなくアルベルチーヌの顔でもなくアルベルチーヌの「黒々とした後ろ髪」。…