2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧
ゴッホが探し求めたものは「自分とは何か」という問いに対する「答え」ではない。だが絵画へ変身することでそれは成し遂げられたといえる。 「ヴァン・ゴッホはその全生涯の間に異様なエネルギーと決意をもって自分の自我を探し求めた」(アルトー「ヴァン・…
人間は身体という形態を取って生まれてくる。キリスト教だけでなく世界のあらゆる宗教的観念に共通しているのは、人間は身体という形態を取ってでしか生まれてくることができず、また精神は常に身体と一致していなければならない、というステレオタイプ(固…
ゴッホを自殺へ追い込んだのは「満場一致の意識」であるとアルトーは述べる。そのように本当のことを露骨に口にしてしまうとただちに精神病院送りにされる時代だった。ただしアルトーのいう「満場一致の意識」は、民主主義的制度が機能しているかぎりでいう…
ゴッホ、ニーチェ、アルトーという名はただ単なる名前であるというだけではない。そうではなく、社会的な或る重大な《問題の場としての身体》として、社会的な或る重大な《問題の場としての身体》であることを自ら引き受けた人々の名なのだ。 「精神病者とは…
アルトーは自分自身を含めて次のように語る。 「本物の精神病者とは何なのか?それは人間の名誉というある種の卓越した観念に悖(もと)る行いをするよりは、むしろ人が社会的に理解する意味において狂人になることを選んだ人間である」(アルトー「ヴァン・…
罪という点でゴッホは何か刑罰の対象となるようなことをしただろうか。何一つしていない。絵を描いただけのことだ。 「いかなる罪とも別のものであるヴァン・ゴッホの身体は、同様に狂気ともまた別のものであったのだ、もっともただ罪のみが狂気をもたらすの…
ゴッホが生きていた時代。一八五三年(嘉永六年)〜一八九〇年(明治二三年)。当時のフランス国家-社会の階級主義的整流器は二つの機関によって集中的に代表されていた。第一に警察機構であり第二に精神医学である。差し当たりアルトーが問題とするのは精神…
ゴッホの絵画はニーチェのいう「別様の感じ方」をした人間によって描かれたものだ。それは他の様々な意味で突出した芸術家の作品同様、社会の側から「手ひどい」攻撃にさらされる。というのも、「別様の感じ方」をした人間によるあらゆる作品は、最初、社会…
そう簡単に阿片が手に入らなくなるとそれまでは第二、第三の選択肢だったマリファナが俄然注目を浴びるようになったのは自然の経過だった。阿片抽出物(モルヒネ、ヘロイン、コデイン)の場合よりも気分を爽快にし、阿片抽出物(モルヒネ、ヘロイン、コデイ…
ドゥルーズとガタリが麻薬の薦めを述べたことは一度もない。問題はどの薬物にしても、とりわけ現在の日本で違法とされている「ドラッグ」がかつて合法だった頃、アルトーが訪ね詩文へ変換して書き残したメキシコのタラウマラ族のような少数民族の伝統のよう…
言語の価値について。言葉というものは常に流通していなければ死語化する。だが一方、いったん流通し出すと同時に価値〔意味部分〕が生じる。そしてこの価値〔意味部分〕は流通することで、移動することで、移動すればするほど、その価値〔意味部分〕を変動…
兵庫県立美術館のホームページから。急遽、ゴッホ展が2020/10/20(金)から24(火)まで中止と発表された。新型ウイルス拡散防止措置とのこと。だがなぜこの日程なのか釈然としない。さらに大都市ではその地域の代表者自身が公式発言の上に公式…
ジュネ作品について述べたあと、振り返ってみると、当初の予定が大幅に延長されていたことに気づく。なぜかはわからない。或ることに一旦触れればまた別の或ることについても触れていかないわけにはいかなくなる。だからその種の小説は底なしかというと必ず…
少年時代に苦労すればするほどその後の人生は豊かなものになるとはまったく限らない。豊かさとは何か。個々人によって考え方は異なる。だから豊かさということをどう考えるかも異なってくる、という安易な理屈だからではけっしてない。多くは一人一人がどの…
ジュネの詩論が述べられている部分。ポエジーとは何か。実にしばしば語られることだがジュネは恐らく難解に思われて敬遠されることへの不安から様々な語彙を動員して理解者を求めているかのようなのだ。 「ひとりの人間の偉大さは、ただ単に彼の能力や、彼の…
エルネスティーヌにとってマスコミ社会面は暴力的な言語に満ちており過剰な刺激を与えてしまう。花のノートルダムの消息を知りたいわけだが過剰な刺激、社会面という過剰な演出装置は、目まいを与えるばかりで肝心のノートルダムに関する裁判の行方を焦点の…
殺人を自白した花のノートルダム。マスコミは一斉に報じた。反応は二つに分かれる。 「一夜のうちに、花のノートルダムの名前がフランスじゅうに知れ渡ったが、フランスは混乱には慣れている。新聞にざっと目を通すだけの者たちは、いつまでもぐずぐずと花の…
大衆雑誌の小説は冒険がたっぷり詰まっている。伝説の素材は日常生活にあるが冒険者は大衆雑誌の読者によって生産されるのだ。「つぶれた活字」とあるが、当時の大衆雑誌というのは大抵そういう出版条件に置かれていたし、ジュネたちの場合はさらにそれを回…
ジュネとミニョンとの思考法が違ってくるのはどこからなのか。方法は大変似ている。けれどもジュネは等身大の自分自身を「甘受している」と述べる。だから襤褸(ぼろ)切れであることは間違いない。この「間違いなさ」がまさにジュネを覚醒させる。ジュネの…
獄中のミニョンは相変わらずいつも何らかの身振り仕ぐさを反復している。ミニョンに限ったことではない。人間はいつも何らかの身振り仕ぐさを知らず知らずのうちに演じてしまっているのであり、それは絶えず自分とは別の何かを模倣することにほかならず自分…
ミニョンが放り込まれた刑務所の中の光景を眺めやりつつ突然ジュネが語り出す。 「この物語のなかでは、看守たちにも彼らなりの役柄がある。全員馬鹿ではないが、全員がもっているのは自分たちの演じているゲームに対する純然たる無関心である。彼らは自分た…
刑務所に戻ったミニョン。慣れた生活に戻っただけのことでもある。惜しいのは刑務所が古い時代の刑務所ではないことだ。ジュネの夢想する孤絶されたギュイヤーヌ(フランス領南米ギニアにあった終身刑務所)はもはやない。「壁に固定された木製の椅子」の「…
百貨店で獲物を物色中のミニョン。一緒に暮らしていると身振り仕ぐさはしばしば伝染する。もっとも、ミニョンがディヴィーヌの屋根裏部屋にいた期間はそれほど長くはない。不意に気が変わって出ていった。しかし人間は一度目撃したものを忘れることは基本的…
ミニョンの放屁。前にも触れた。彼は屁をするとき、「俺は真珠をひとつ放つ」と、一人で言う。音を立てずにそっと放つわけだがその臭いを消すことはできない。特に獄中では。 「私は、彼の屁(真珠)がミニョンのやわらかいお尻から噴射されるように、ヒモた…
孤独を深めるディヴィーヌ。外出時は好んで一人である。 「彼女はもう一人でしか外出したくなかった。この習慣はひとつの結果を生んだ。黒人と人殺しの親密さを深めることである」(ジュネ「花のノートルダム・P.280」河出文庫) ディヴィーヌはわかりき…
ディヴィーヌは嫉妬していると思われたくない。ノートルダムとゴルギとの性行為が文字通りの性行為ならそれを咎めるのは野暮なことだ。ディヴィーヌは野暮な人間だと思われたくない。そしてさらにノートルダムとゴルギとの性行為がディヴィーヌの大切な屋根…
花のノートルダムとゴルギの二人は散々遊んだ後になってディヴィーヌの屋根裏部屋に戻ってくる。二人はそこでしばらく体を休める。徐々に体力が戻ってくる頃合いを見計らいつつディヴィーヌは二人の男性器を口一杯に頬張って勃起させる。すると転がり込んで…
村のそこらじゅうに溢れているのは一九一〇年代から一九三〇年代のフランスにかけて蔓延していた「男らしさ」という男性像と「女らしさ」という女性像ばかりだった。ニーチェのいうようにそれらは人為的な慣習化から徐々に社会の中に定着するに至った一時的…
ディヴィーヌにとって「女性」とは何であるのか。男性同性愛者としてはディヴィーヌは女である。が、男性同性愛者ディヴィーヌから見れば「女性」とは何なのか。その意味を追求するとディヴィーヌを世間一般の「女性」と混同することはできない。 「ディヴィ…
服装による選別。ジュネはキュラフロワに代わっていう。 「院児たちのズボンにはポケットがひとつしかない。これもまた彼らを世間から隔てるものである。左の、たったひとつのポケット。社会システム全体が服装におけるこの単なる細部によって乱される」(ジ…