2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧
エルスチールの家でアルベルチーヌを紹介された<私>。前回よりはくっきりアルベルチーヌの顔を見る機会に恵まれたことになる。さてその日アルベルチーヌは先にエルスチール邸から帰宅する。その後、そういえばアルベルチーヌの顔には小さなほくろがあった…
エルスチールに紹介されてようやく<私>はアルベルチーヌと会うことができた。バルベックの浜辺で受けた最初の出会いの鮮烈さはすでに消失している。二度目の出会いはもはや二度目の出会いでしかない。アルベルチーヌは早くも価値下落を起こしている。しか…
プルーストの代表作「失われた時を求めて」。という有名な長編の名を知らない人間はどこにもいない。どの国の教科書にも載っている。同時期に出現したジョイス「ユリシーズ」とともに余りにも有名。だがしかし作家にとって有名なことがいつも有益であるとは…
多くの人々は職場や学校で毎日顔を合わせている友人知人がいることを経験として蓄積させていく。高齢者となって引退して以降、今度は近所の人々が新しく友人知人の中に入ってくる。ほぼ毎日反復される「挨拶」。始めのうちはそれが新鮮な「出会い」に思われ…
エルスチールから「娘たちの一団」について直接紹介される機会は逃したものの、しかし再会できることが確実となった今、<私>にとって「娘たちの一団」はもはやまるで掴みどころのない正体不明の「星雲」では全然なくなる。再会不可能性ではなく再会可能性…
エルスチールのアトリエで<私>は或る肖像画に目をとめる。肖像の下方に「ミス・サクリパン」と記されている。エルスチールはいう。「いやあ!つまらんものですよ、若いときのほんのいたずら描きですから。ヴァリエテ座のレビューに出るための衣装です。も…
祖母と一緒に浜辺を散歩していた時に突然出現した「娘たちの一団」。その一人がアルベルチーヌだとわかる前とわかった後。<私>にとって決定的に二つに分裂したアルベルチーヌのイメージは「画然と切り離されている」。まるで「未知の女」だったアルベルチ…
次の箇所もまた偶然がもたらしたまったく想定外の衝撃的幸運である。<私>はサン=ルーから画家エルスチールの家を訪れてみてはどうかと勧められていた。だがエルスチールの家に行ったとしても「少女たちの一団」に会えるとはまるで限らないどころかますます…
のちに少女たちからもらった写真を見て<私>はこう思う。時間というものが「同一性」と「差異性」という問いに極めて深く関わっていることに注意しよう。 「わずかな期間のうちに娘たちのひとりひとりの肉体的特徴がずいぶん昔とかけ離れたものになったため…
夢についての考察は「失われた時を求めて」の随所に出てくる。次の箇所もその一つ。プルーストはいう。覚醒時とは違い睡眠中は身体的精神的に随分弛緩しているわけだが、それゆえ「夢ではわれわれ自身がたいてい動物になっていること、事物に確実性の光を投…
次の箇所は象徴派の絵画を動かしてみたらこう見えるに違いないし実際そうなるということだけを告げているわけではない。「私は、博物学者のごとき満足感を味わっていた」とあるように文字通り<私>は「怠け者のチョウ」と化して「花」(一人の少女)から「…
アルベルチーヌとの出会いは不均衡な形で出現した。以前引用した箇所だがもう一度引いてみよう。 「いっとき、自転車を押す褐色の髪にふっくらした頬の娘のそばを通りかかった私は娘のからかうような横目に出くわした。そのまなざしは、この小さな部族の生活…
アルベルチーヌについて語り尽くせないほど大量の語彙を動員し続ける<私>。あまりにも長々しいのでアルベルチーヌという女性は結局、一つの<象形文字>だったのではないか、アルベルチーヌは言語で出来ているのではないか、と読者は考えるようになる。ま…
もっとも、子供は残酷でないというわけでは決してない。事情次第で大人よりも遥かに残酷な振る舞いを見せることはよく知られたありふれた事実だ。大人の身体を持たない子供の場合、物理的な身動きが極端な制限下に置かれているため、幼児の振る舞いの残酷さ…
サン=ルーがすぐさま愛人と別れるなどと<私>はこれっぽっちも思っていない。どれほど愛人との恋愛関係に責め苛まれていてもなおサン=ルーはサン=ルーなりに注意深く計算する精神を性格の片隅に残しているのを<私>はよく知っているからだ。愛人が決定的に…
ヴィルパリジ夫人を訪ねてシャルリュスがけたたましくバルベックへやって来て二日過ぎるとまたけたたましく去っていった。そこでようやく<私>とサン=ルーは延期されていたブロック家を訪問する運びとなった。とはいえブロックの父ブロック氏のエピソードに…
シャルリュスはほとんど言語であると何度か述べた。人間であるとともに男性同性愛者であるが、それだけでなく<同時に言語>でなくてはならない。とりわけ次の箇所でシャルリュスは言語であるとともに<どのような言語であるか>について<私>は語る、とい…
プルーストは余りにもさりげなく述べる。例えばカジノのホールなどで、女性の同性愛者同士が「たがいに欲望をいだくと、しばしば一種の光学現象が生じて、ひと筋の燐光のようなものが一方から他方へ流れるものだ」と。ここではその説明のためゴモラ再建への…
シャルリュスとジュピアンとの同性愛についてはすでに触れた。<私>はそれを<覗き見>した。<覗き見>はプルースト作品において大変重要なテーマの一つだがそれはもっと先に出てくる幾つかの場面の検討とともに見ていこうと思う。そこで今ここで問題にし…
シャルリュスは言語として出現したわけだが、シャルリュス自身の雄弁さによってそう見えたというばかりではなく、それ以前、甥のサン=ルーが叔父のシャルリュスという人物の概要についてあらかじめ述べておく言葉の中ですでに言語化されている。そして到着し…
ヴィルパリジ夫人を訪ねてサン=ルーの叔父がバルベックへやって来るという連絡があった。この叔父がシャルリュス。自ら男爵を名乗っている。シャルリュスの名は「パラメードといい、先祖にあたるシチリアの歴代君主から受け継いだファーストネーム」だ。のち…
或る日のこと。<私>の耳に独特の違和感を帯びた言葉が割り込んできた。その言葉は「サン=ルーと私が砂浜に座っていると、すぐ横のテントから」聞こえてくるという形を取っているため、さえぎる暇一つ与えず容赦なく聴覚に侵入してきた。「『一歩あるくだけ…
サン=ルーとの会話は<私>にとってそれなりに歓ばしい時間ではあった。だが事情次第でサン=ルーの言葉の意味がまるでわからなくなる時があった。サン=ルーの言葉はしばしば<象形文字>に変わるというわけである。難解だからと理由ではなく、近くに複数の他…
ヴィルバリジ夫人は常から心がけていた。何をか。往年の貴族階級に属する人間が新興ブルジョワ階級に属する人間に対して尊大な態度で振る舞うのは無粋であり、貴婦人の立場において、ブルジョワといえども「会うことを嬉しく思っている」という態度を示すこ…
さて、カルクヴィルの教会前で目についた「美しい魚釣り娘」。始めは<私>の側が先に見ることによって<私>の<まなざし>が娘の内容を簒奪した。次に<娘>の<まなざし>が<私>を捉える。しかし「娘のまなざしという鏡のなかに私自身のイメージが密か…
カルクヴィルの教会前から移動しようとした時、<私>は、橋の上に腰かけて足をぶらぶらさせている一人の娘がいるのにふと気づいた。娘はほかに何人かいたがとりわけその娘だけが気の強そうな印象を放っていたため際立って見えたのかもしれない。<私>のま…
有名な歴史的建造物はほとんどの場合どれも豪華な建築として修復を繰り返し保存されているのが通例だが、そのようなケースは文字通り通例に過ぎない。通例に過ぎない限り、いつもそうだとは限らない。例えば<私>が思っているキリスト教会といえば、パリで…
私たちが馬車で移動している時、「両側の畑の実在をいっそう確信させてくれ、昔の巨匠たちが署名代わりに画のなかに描いた小さい貴重な花のように畑が本物だという証拠を示してくれたのは、コンブレーで見かけたのとそっくりのヤグルマギクたち」だと<私>…
プルーストは「貴族とブルジョワというふたつの世界」と述べる。交わることのない二つの世界。もっとも、スワンのように両者の間を横断=交通する人間はいる。ともあれ、なぜ両者は交わることがないのか。次の箇所を見てみよう。一見、笑い話のように見える…
グランドホテルの総支配人が<私>に向けて示したお辞儀。このお辞儀もまた<私>を困惑させる<象形文字>として出現する。ちなみに総支配人はフランス各地に七、八軒の豪華ホテルを展開する人物で外国でも有名なホテル経営者。一週間ばかりバルベックに滞…