2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧
ジュネを読み進めたいのだが、このあたりで論点整理のため、さしあたりフーコーの考察に触れておきたいとおもう。ジュネの生涯は現代的かつ戦前の施設や刑務所での暮らしが長かった。それを考慮しつつ現代的かつ戦前よりも以前の施設や刑務所の姿についての…
人間は本来的に怠惰だ。必要に迫られて始めて思考する。というより、必要に迫られているときすでに事態は切迫しており、しばしば見受けられることだが、破局はもう目前に差し迫っているということでもある。 「思考するということはひとつの能力の自然的な〔…
そうであることを反復することでしか生きていくことができない。たとえば、エロス。エロスの反復意志。にもかかわらず、反復するがゆえ逆に抑圧は生じるとドゥルーズはいう。 「私は、抑圧するがゆえに反復する、というのではない。私は、反復するがゆえに抑…
ジュネは権力に対抗して反権力の側に立つという方法には、通常思われているほど有効性を見いだせないことがよく見えていた。ジュネは方法というべき方法を持とうとはしない。それはたぶん自分で自分自身の力をステレオタイプなものへ凝固させて同じことを反…
ドゥルーズとガタリがいうように、「蘭は雀蜂のイマージュやコピーを形作ることによって自己を脱領土化する」。ところが。こう続く。 「どうして脱領土化の動きと再領土化の過程とが相対的なものであり、絶えず接続され、互いにからみあっているものでないわ…
少女が犠牲になるのは性暴力やDVやいじめや貧困世帯といった個別的次元で始めて犠牲者になるのではない。資本主義の中では、少女は、《身体として》女児に生まれてくるやいなや犠牲者になることをあらかじめ自動的に設定されている。少女が社会的暴力によっ…
歴史に本文と序文との区別はあるのだろうか。あるとすればどこまでが序文に属しておりどこからが本文に属しているのか。日韓関係に関する昨今のマスコミ報道は一体なにが言いたいのかさっぱりわからないとしか言いようがないような印象を嫌が上にも高めてい…
ディオニュソス祭とその衝撃は古代世界の様々なところへ影響をおよぼした。ところがディオニュソス祭とそっくりな祭祀は世界中のあちこちで見られる。なぜディオニュソスなのだろうか。 「この三角形の縁には太い手すりによって塞がれた巡回路があった。そし…
腕力にものをいわせて見せたがる人々。あるいは腕力に頼ると世論が喧しいので腕力にものをいわせて相手を従わせることができないため、結局のところ沈黙してしまうほかない政治家のような人々。欠けているのは対話なのだが、ただ単に対話が欠けているといっ…
「ステレオタイプと誹謗中傷の源泉」の中で、プルースト「失われた時を求めて」からアルベルチーヌの植物《への》生成変化について述べた。 「アルベルチーヌ自身が分子状植物のゾーンに組み込まれるのは、彼女が眠り、睡眠の微粒子と組み合わさるときにかぎ…
秘密を暴くのはいつも子どもたちだ。だから大人は常に子どもたちを徹底的な管理社会の中に密閉して監視しておかなければ気がすまないらしい。それがどれほど子どもたちのプライバシーを世界中に売り飛ばすことと密接に関連しているとしても。そして秘密のほ…
D.H.ロレンスを参照しつつ植物への生成変化について述べた。プルースト作品の中にも生成変化の主題が登場する。ドゥルーズとガタリはさしあたりアルベルチーヌを取り上げてこう述べる。 「アルベルチーヌ自身が分子状植物のゾーンに組み込まれるのは、彼女が…
これは一つの逆説である。「まなざし」について。サルトル作品に次のような記述がある。 「《自分がどんなに見えるか気にかけぬこと、とりわけ、もう自分を眺めぬこと、自分を眺めると、おれは二人になる。『存在すること』。暗闇の中で、行き当たりばったり…
カフカ作品の中でグレーゴル・ザムザは虫に《なる》。よほど「愚鈍」でない限り、このような経験を実感したことがない人間はほとんどいないとおもわれるわけだが、それにしても、なぜ家族はザムザの「引っ越し」に余り乗り気ではないのだろう。 「働き疲れて…
フロイトによる次の分析は読み直される必要性がある。 「男女共に抑圧の後は、たしかに父親から愛されるという(受動的な)空想ではないが、しかし父親から叩かれるというマゾヒスティックな空想が無意識の中に存在し続ける」(フロイト「『子供が叩かれる』…
盆休み。とはいえ、忙しい。むしろ、忙しい。平日よりも忙しい。なぜ忙しいのか。貨幣は動かなくてはならないからである。与えられた賃金は消費されなければならない。市場を循環して金融機関のもとへ回帰してこなければならない。そうでなければ利子は生ま…
カフカ「審判」。被疑者Kは「釈放」と被疑者のままのずっと延期される状況を生きていく。そこでは何もかもが不確定なのだが、むしろそれゆえに、決定がずっと引き伸ばされていく延期ばかりは逆に確かなことのようにおもわれてくるという認識論的倒錯が生じて…
アメリカは慌てている。中国もまた。しかしほとんどアメリカに従おうとする世界のIT産業の過酷な競争の中で、さらなる盛り返しを見せつつあるファーウェイに対する一定の信頼度はかえって高まったように見える。それはそれとして。芸術とは何かを論じるとき…
かつて「読むこと」に重点が置かれた時代があった。生徒らは「正しく」読むことができるか。「正しい」というのは「唯一の」を意味する。特定の秩序に則った意味の読み取りができているかどうか。生徒らは秩序に即して「読むこと」ができているかどうか。そ…
近代文学としてしか出発することができなかった「文学」。 「文学はもはや誇りや逃げ場ではなくなって、情報をつたえる明晰な行為となりはじめる」(バルト「エクリチュールと言葉」『零度のエクリチュール・P.99』みすず書房) 読者らは近代文学を通して…
ライプニッツ「モナドロジー」から始めないといけないのだろうか。モナドとは何か。もうこれ以上分割不可能な実体あるいは個体のことをいう。註釈を添えておこう。「極限」としてのモナド。 「たとえば数学的な点と線の関係で、線をいくら分割しても点には至…
職人のエクリチュールと化した文学。近代小説の誕生。それ以前に「文学」というものはなかった。一八四八年「六月蜂起」で生じた歴史的断層の出現にともなう「資本家、土地所有者、労働者」という三階層の発生。そこから新しい「文学」は生じた。「近代文学…
前章でモーパッサンを上げた。ページをぱらぱらめくっているうちに知らず知らず読んでしまっていた。そうして時間が過ぎたのである。さて、バルトによる次のセンテンス。というより、問いになったまま、開かれたまま、長いあいだ打ち捨てられていたようにお…
既成政党にたいする失望感や絶望感は何も日本に限った話ではぜんぜんない。むしろ日本の政界は取り残されているほうだ。かといって財界主導では「経営コンサル任せ」になってしまう。今のアメリカが出口の見えない人口問題に陥った要因の一つは、表向きには…