Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

熊楠による熊野案内/馬(ば)ノ嘉運(かうん)の放免

前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

唐の時代、「魏郡(ぎぐん)」(今の中国河北省魏県南端部)に「馬(ば)ノ嘉運(かうん)」という人物がいた。貞観六年(六三二年)正月の或る日。嘉運は昼間ずっと家の中にいたが、日晩(ひのくれ)になって家の門の外へ出てみると、見知らぬ二人の者がそれぞれ馬にまたがり門の外にある「樹(うゑき)ノ下(もと)」に忽然と出現した。嘉運は中央官庁の役人として日頃から多くの人々と面識があったのだが、覚えのない相手なので誰なのか尋ねてみた。すると「東海公(とうかいこう)」の使者として嘉運を冥途へ迎えに来たという。「東海(とうかい)」は東シナ海に面する山東省・江蘇省浙江省福建省にまたがる広域。その冥途の王という意味だが、直接閻魔王を指すわけではなく、神仙思想以来、山東省の泰山(たいざん)山頂にいるという「泰山府君(たいざんぶくん)=「冥界の主」のイメージと重ねられているようだ。

冥途からの呼び出しと聞いた嘉運は断ろうとして今は馬がいないので出かけられないというと使者は「馬ならこれを差し上げよう」とあっさり馬を与えられた。嘉運が馬に乗るとたちまち魂が飛び去った。樹陰には抜け殻となった嘉運の死体が倒れ臥している。嘉運が周囲を見渡すとそこにはもう冥途の官庁の大門がある。

「嘉運、即チ樹(うゑき)ノ下(もと)ニシテ、馬ニ乗(のり)テ去(さり)ヌ。然レバ、嘉運、俄(にはか)ニ樹(うゑき)ノ下(もと)ニ倒レ伏(ふし)テ死(しに)ヌ。嘉運、一ノ官曹(くわんさう)ニ至(いたり)テ大門ニ入ル」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.233」岩波書店

門の外には数十人ばかりの亡者が訴訟のために群がっている。その中に一人の夫人が見える。夫人は嘉運にいう。

「わたしは地方総管を務めていた張公瑾(ちやうこうきん)の妻だった萑(すい)氏という者です。ところが総管は何の理由もなくわたしを殺したのです。そこでわたしは天帝に訴えようと既に三年間待ちました。けれど天帝の臣下の王天主(わうてんしゆ)が公瑾(こうきん)を擁護するのでいつも抑えられてきました。でも今回ようやく官庁に訴え出る機会を得てもうすぐ召喚される順番が巡ってきたのです。ところで、わたし一人だけが不当に殺されたと思っていたのにどうして馬嘉運さんがこんなところにいらっしゃるの?」。

「昔(むか)シ、我レ、張(ちやう)ノ総管ト交ハリ遊(あそび)テ、常ニ数(しばしば)相ヒ見キ。而(しか)ルニ、総管、其ノ理(ことわり)無クシテ我レヲ殺シテキ。我レ、天曹(てんさう)ニ訴フルニ、今、三年ニ成レリ。而ルニ、王天主(わうてんしゆ)ノ公瑾(こうきん)ヲ救護スルガ故ニ、常ニ見テ抑フ。然リト云ヘドモ、今、官ニ申ス事ヲ得タリ。既ニ此レヲ召サムトス。不久(ひさしから)ズシテ当(まさ)ニ来(きたり)ナムトス。然レバ、我レ一人、被狂害(わうがいせられ)タリト思フニ、何ゾ馬生、亦来レル」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.233」岩波書店

萑(すい)氏が殺害されたと聞き、また周囲の様子を観察しているうちに始めて嘉運も自分が死んだことを知った。使者は嘉運を引き連れて門の中に入った。東海公はまだ寝ているらしく尋問は始まっていない。しばらく待つことになり行刑官の近くへ行って座って待つことにした。嘉運が行刑官の顔を見ると尚書省の「益洲(えきしう)=四川省成都支部長官をやっていた霍璋(くわくしやう)である。霍璋は嘉運に気づき進み出ていう。

「今、冥府の書記官に欠員が出ている。東海公はそなたの学問の才を聞き及び、敬して書記官に据えようと冥途へ招かれることになった」。嘉運はいう。「私の家はとても貧乏で妻子を養っていくにも不足なほど。だからそなた、私をここから解放するよう取り計らって頂きたい。そうして下さればたいへんありがたいのですが」。そういうことならと霍璋は考えていった。「東海公に尋ねられたら自分から浅学非才であって適任でないと言いなさい。そうすれば私はそこで公に詳しい説明を付け加えて述べよう」。

「『此ノ府ニ記室闕(かけ)タリ。東海公、君ガ才学(ざいがく)ヲ聞テ、屈シテ此ノ官ニ備(そなへむ)トテ、君ヲ召シタル也』ト。嘉運ノ云ク、『我レ、家貧クシテ妻子ヲ顧ミルニ猶不足(たら)ズ。然レバ、君、我レヲ免(まぬか)ラカス事ヲ令得(えし)メヨ。然ラバ、我レ、幸ト可為(すべ)シ』ト。霍璋ノ云ク、『若(も)シ然ラバ、君自(みづから)、<学ビ浅ク、識(さと)リ少(すくな)シ>ト可陳(のぶべ)シ。其のノ時ニ、我レ、其ノ事ヲ相ヒ明(あきら)メム』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.233~234」岩波書店

しばらくすると眠っていた東海公が目を覚ましたらしい。使者が来て嘉運は部屋に引き入れられた。裁判の席のようだ。公は小太りで色黒。貫禄がある。嘉運を呼んでいう。「そなたの学識を耳にしたのだが、是非とも冥界の書記官として働いてもらいたいと思う。どうか引き受けてくれまいか」。嘉運は答えた。「たいへん光栄なお話でございます。ですが私はほんの田舎者。教養などなく粗野なばかり。その日暮らしで地元の後輩を教えているに過ぎぬ身です。とてもではありませんが書記官として適任とは思えません」。公は問う。「そなた、霍璋を知っているだろうか」。嘉運は言った。「よく存じております」。そこで公は霍璋を呼び出して嘉運の学問の才について尋ねると霍璋はこう答えた。「私は生前、嘉運の日々の仕事ぶりを見てまいりましたが、しかし文書作成に携わっているところは見たことがありません」。公はいう。「それなら他に文章に通じている者はいるか」。そこで嘉運は「陳(ちん)ノ子良(しりやう)という人物がいます。文章のわかる人です」と答えた。すると公はいった。「そうか。では馬嘉運を放免して返すことにする。そしてただちに陳(ちん)ノ子良(しりやう)を冥途に召喚せよ」。

「『君ガ才学ヲ聞テ、屈シテ、記室トセムト思フ。吉(よ)ク此レヲ用(もちゐ)ムヤ』ト。嘉運、拝謝シテ云ク、『甚ダ幸也。但シ、辺鄙ノ人、田野ニシテ、頻(すこぶ)ル経業(けいげふ)ヲ以テ後生(こうせい)ヲ教授ス。当(まさ)ニ以テ管記ノ任ニ不足(たら)ズ』ト。公ノ云ク、『霍璋ヲ知レリヤ否ヤ』ト。嘉運答(こたへ)テ云ク、『霍璋、具(つぶさ)ニ此レヲ知レリ』ト。此レニ依(より)テ、使ヲ以テ霍璋ヲ召シテ、嘉運ガ才術(ざいずつ)ヲ問フニ、霍璋ノ云ク、『我レ、平生ノ時、嘉運(かうんの)経業ヲ知ルト云ヘドモ、文章ヲ造ルヲバ不見(み)ザリキ』ト。公ノ云ク、『然ラバ、誰(たれ)カ文章ニ足レル者』ト。嘉運ノ云ク、『陳(ちん)ノ子良(しりやう)ト云フ者有リ。文章ヲ悟レリ』ト。公ノ云ク、『然ラバ、馬生ヲ可放返(はなちかへすべ)シ。即チ、命ジテ子良ヲ可召(めすべ)シ』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.234」岩波書店

地上に返ることになった嘉運。霍璋が近づいてきていう。「できれば頼まれてほしいことがある。そなた、我が家にいるあの犬にこう告げてほしい。私は生前、用いていた馬を売って浮図(ふと)=卒塔婆(そとうば・ストゥーパ=仏)を造れと言っておいた。にもかかわらずお前はなぜ私の馬を売って好き勝手に使ったのか。私が教えたようにただちに浮図(ふと)を造れと。我が家の犬というのは私の長男のことなのだが」。

「請(こふ)ラクハ、君、我ガ家ノ狗(いぬ)ニ語レ、『我ガ平生ノ時、乗(のり)シ馬ヲ売(うり)て、我ガ為ニ浮図(ふと)ヲ造(つくれ)、ト云ヒキ。而(しか)ルニ汝ヂ、何ゾ我ガ乗(のりし)馬ヲ売テ自(みづか)ラ用(もちゐ)ル。速(すみやか)ニ、我ガ教ヘノ如ク浮図ヲ造レ』。我ガ家ノ狗ト云ふは、即チ長子也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.234~235」岩波書店

それはそうと嘉運はさっき見た、張公瑾(ちやうこうきん)の妻が口にしていた王天主(わうてんしゆ)とは一体誰なのか、と聞いた。霍璋は答える。

「あれはだな、王五戒(わうごかい)といって死後に天主となってからいつも公瑾を贔屓にして殺さず守ってやっているのだが、そんなふうにしてこれまで罪を免れてきた公瑾といえども、殺害された妻の訴えが届いた以上、もはやこれまで通り好き放題にはいくまい」。

「死シテ天主ト成(なり)テ常ニ公瑾ヲ護ルガ故ニ、今ニ免ルル有(ある)を得タリト云ヘドモ、今、不免(まぬかれ)ヌニ似タリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.235」岩波書店

そこへ使者が嘉運を送りにやって来た。一つの細い階段のような道へ連れて行かれ、それを指差してここから帰りの道になると教えられた。

「然レバ、使者ヲ遣(つかはし)テ、嘉運ヲ送ル。一ノ小キ渋道(じふだう)ニ至(いたり)テ、指(ゆびさ)シテ、此ノ道ヲ教ヘテ令帰(かへら)シム」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.235」岩波書店

生き返った嘉運は冥途で頼まれたとおり霍璋の家へ赴き、冥途での出来事を詳しく語って聞かせた。その年の七月、「綿洲(めんしう)=四川省綿陽」に住む陳(ちん)ノ子良(しりやう)が突然死した。ところが一夜にして生き返った。そしていう。「冥途に招かれて東海公に謁見したところ、私に冥界の書記官を任せたいとのこと。文章作成に通じていないと説明して辞退させてもらい返ってきた」。その後、今度は「呉(ご)=江蘇省泰県」に住む陳(ちん)ノ子良(しりやう)が死去した。また公瑾も死んだ。二人が死んだ後、嘉運が街路を歩いているといきなり目前に冥界の使者が出現した。嘉運は魂が抜けたように血相を変え、ひたすら走って逃げた。

「其ノ年ノ七月ニ、綿洲(めんしう)ノ人、姓(しやう)ハ陳(ちん)、字(あざな)ハ子良(しりやう)、暴(にはか)ニ死(しに)ヌ。一宿ヲ経テ活(よみがへり)テ、自ラ語テ云ク、『我レ、東海ノ公ニ見(まみ)エテ、以テ、我レヲ記室トセムト為(す)ルニ、辞シテ文字ヲ不識(しら)ザル事ヲ云(いひ)別レヌ』ト。其ノ後(のち)、亦、呉(ご)ノ人、陳ノ子良ト云フ人有リ。率(そつ)シヌ。亦、公瑾死(しに)ヌ。二人亡(はう)ジヌ。後ニ、嘉運、人ト同ジク路ヲ行クニ、忽(たちまち)ニ官府(くわんぷ)ノ者ヲ見ル。嘉運、神色憂ヘ怖ルル事無限(なぎりな)シ。只走(はしり)テ逃(に)グ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.235」岩波書店

しばらく逃走して立ち止まったところ、そこにもまた冥途の使者が立っている。嘉運はもはやこれまでと観念するほかない。使者はいう。「陳の子良のことだが、そなたを猛烈に非難していたぞ。聞けばそなたを地上に戻すために行刑官の霍璋が虚偽発言をしたらしい。許されぬことだと霍璋はしきりに責め立てられている。そなたもまた虚偽発言の口裏合わせをしただろう、どうして許されることがあろうか。ところがそなたは既に代償を払っていることがわかった。放生の記録がある。ゆえに免除された」。

「陳ノ子良、極(きはめ)テ君ヲ訴フ。霍司刑、君ガ為ニ詐(いつはり)ノ詞ヲ成(なし)テ、誚(そし)リ譲(せめ)ラル。君、何(いかで)カ不免(まぬかれざ)ル。而(しか)ルニ、君ガ生(しやう)ヲ贖(あかふ)ニ依ルガ故ニ、免ルル事ヲ得タリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.236」岩波書店

そういえばーーー。以前、嘉運は蜀(しよく=四川省崇慶)の国に住んでいた。蜀で池の水を荒らして魚が乱獲されているのを見て、嘉運は書の講義を開いて絹数十疋(すじつぴき)を頂いた。その絹で獲物の魚を買い取り再び池に放してやった。それが功徳と認められて放免されたことになる。

「初メ、嘉運、蜀(しよく)ニ有リキ。蜀ノ人、当(まさ)ニ池ヲ殃(く)ムデ、魚ヲ捕(と)ル。嘉運、其ノ時ニ、人ノ為ニ書ヲ講ジテ、絹数十疋(すじつぴき)ヲ得タリ。其ノ絹ヲ以テ、池ノ魚ヲ賈(かふ)ニ依(より)テ、生(しやう)ヲ贖(あかふ)ト云フハ、此レヲ云フ也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第九・第三十・P.236」岩波書店

さて。置き換え=交換関係に注目しよう。第一に冥途の書記官。欠員が出た。そこで「魏郡(ぎぐん)」に住む「馬(ば)ノ嘉運(かうん)」に白羽の矢が立つ。だが嘉運は辞退しようと換わりの名前を上げる。それが「陳(ちん)ノ子良(しりやう)」。ところが同姓同名が二人いた。一人は「綿洲(めんしう)」の陳子良、もう一人は「呉(ご)」の陳子良。嘉運が換わりにと考えたのは後者の側。ところが先に冥途へ送り込まれたのは「綿洲(めんしう)」の陳子良。別人とわかり地上へ送り返された。「呉(ご)」の陳子良が冥官として召された形になる。しかし本来なら嘉運が行くべきところ。しかし冥界の記録によれば嘉運がかつて蜀にいた頃、絹を魚と交換して魚を池に返してやった過去があった。それが第二の置き換え。その放生行為が功徳と認定されて冥界の書記官職は「呉(ご)」の陳子良が務めることになり嘉運は免れることになった。それが第三の置き換え。言い換えると、第一に嘉運の前任者から綿洲の陳子良への置き換え。第二に嘉運が得た絹数十疋と魚との置き換え。第三に嘉運の冥界行きと嘉運が行なった放生行為との置き換え。

次に霍璋が生前使っていた馬。馬の売買で得た貨幣を用いて(1)「浮図(ふと)」の建立、(2)「好き勝手な散財」、どちらにも使用可能である。冥途の書記官の場合、諸商品の無限の系列をなすが、馬を売って得た貨幣の場合、他の何者にでも交換可能。人身売買も可能。

さらに張公瑾(ちやうこうきん)による妻=萑氏の不当殺害。妻=萑氏の訴状が認められ張公瑾は死ぬ。萑氏は冤罪ということになるがその消息については記述がない。

また冥途と人間界との境界について。第一に「日晩(ひのくれ)」。第二に「樹(うゑき)ノ下(もと)」。第三に「一ノ小キ渋道(じふだう)」。

売買による置き換えは貨幣を介する限りで他の何物とでも可能な〔貨幣〕中心的なものだが、貨幣を介さない場合は次々と置き換えられていく系列が出現するばかりの脱中心的なものである。

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