2021-01-01から1年間の記事一覧
いちじるしく砂漠化している地域はいくらもある。その一つが「流沙(るさ)」=「タクラマカン砂漠」。砂漠の南に「楊(やなぎ)で囲まれた小さな泉」があった。<私>は泉のうしろに小さな祠(ほこら)があるのを見つけた。その祠は「まだ全くあたらしい黄…
山男はいつも必ず山の中にいるのだろうか。そうとは限らない。ではしばしば町に降りてくるのだろうか。しばしばとまではいかないだろう。しかしほんの時たま、町へ降りてくることもあった。「七つ森」がその通過点だ。ここまで来ると山男は慎重になる。 「こ…
内面から湧き起ってくる理想的欲望を満たすために必要とされたのはいつも子どもの頃から見て学び覚えた外界の風景とそれを書きあらわし言いあらわす言葉、そして身体だった。<記憶><対話><夢><回想>などをさらに何度も繰り返し<再発見>し、それら…
黒い松の森は四つある。南から「狼森(オイノもり)」、「笊森(ざるもり)」、「黒坂森」、そして北端が「盗森(ぬすともり)」と呼ばれていた。ある年、「水のようにつめたいすきとおる風が、柏の枯(か)れ葉をさらさら鳴らし、岩手山の銀の冠(かんむり…
知りたいと思わないだろうか。 「十二月二十六日の夜八時ベーリング行の列車に乗ってイーハトブを発(た)った人たちが、どんな眼(め)にあったか」(宮沢賢治「氷河鼠の毛皮」『ポラーノの広場・P.257』新潮文庫 一九九五年) 一九二〇年(大正九年)、…
「くだもの畑の丘(おか)のいただき」に三本のダァリアの花があった。二本は黄色いダァリア。一本は赤くてさらに高くそして大きなダァリア。周辺に少し風が吹き付ける季節でもあるようだった。しばらくすると「北風又三郎」がその年はじめて「笛(ふえ)の…
猟師の淵沢小十郎(しょうじゅうろう)は「熊捕(と)りの名人」。山中に家がある。なかでも「なめとこ山」の熊たちは、もう何十年になるのだろう、小十郎との付き合いが長い。体格のいい小十郎がどっこらどっこら山を歩く時の歩き方は熊目線から見下ろして…
前年に理助から教えてもらった<はぎぼだし>というきのこの群生地。その近辺は「楢渡(ならわたり)」と呼ばれていた。野原からずんずん山の奥へ入ったところにある。そのすぐ近くに谷があった。太古の昔にできたと思われる「まっ赤な火のような」崖で、霧…
宮沢賢治の作品には時々、「いったい誰が主人公なのかわからない」、という特徴が顕著に出たものがある。これもその一つだ。 「ある晩、恭一はぞうりをはいて、すたすた鉄道線路の横の平らなところをあるいて居(お)りました」(宮沢賢治「月夜のでんしんば…
今年新しく村会議員になった平右衛門(へいえもん)。或る日の夜、平右衛門の家で盛大な宴席が設けられた。平右衛門をはじめ出席したほとんど全員がしたたか酒に酔っ払って大いに騒ぎ祝いの夜を満喫している。だがそこにたった一人、酒にはまったく酔いもせ…
冬が来る。もうそこまで来ている。そして賢治はこう書き始めた。 「そらのてっぺんなんか冷たくて冷たくてまるでカチカチの灼(や)きをかけた鋼(はがね)です」(宮沢賢治「いちょうの実」『ポラーノの広場・P.9』新潮文庫 一九九五年) いかにも宮沢賢治…
ホモイは兎(うさぎ)の子。人間でいうと小学校三年生くらいだろうか。或る日、早春の野原をきらきら流れる川岸で遊んでいた。そこへふいに上流から何かが叫びながら流されてきた。まだ幼いひばりの子のようだ。よく見るともじゃもじゃの黒い毛で顔はとかげ…
或る農学校の教師が火山弾(かざんだん)の標本を採集しに茨海(ばらうみ)の野原に出かけた。標本としては不十分ながらも半日かかって一つ見つけた。それを背嚢(はいのう)の中に入れて再び茨海(ばらうみ)の野原を横ぎって帰ろうと考えた。野原の様子は…
「雪婆(ゆきば)んごは、遠くへ出かけて居(お)りました」というフレーズで始まる「水仙月(すいせんづき)の四日」。「遠くへ出かけて居(お)りました」という言葉がもうすでに「雪婆(ゆきば)んご」が再び回帰してくることを予告している。そして「水…
ある古い家の天井裏にすんでいる鼠の名前は「ツェ」。何かいいものはないかなあと床下街道(ゆかしたかいどう)をうろうろしていた時、知り合いの<いたち>に出会った。<いたち>はついさっき見たことをツェねずみに教えてやる。「お前んとこの戸棚(とだ…
宮沢賢治が次のように書く。と、それは東北地方の冬景色に違いないと誰もが思う。 (1)「雪がすっかり凍(こお)って大理石よりも堅(かた)くなり、空も冷たい滑(なめ)らかな青い石の板で出来ているらしいのです」(宮沢賢治「雪渡り」『注文の多い料理…
オツベルは十六人の百姓と稲扱(いねこき)機械を使って農業を営む農家の主人である。羽振りもよさそうだ。或る日、オツベルの農場に一頭の「白象(びゃくぞう)」がふらりとやって来た。白蛇や白猿などとともに白い象は信仰の対象だった。 「我爾時乗 六牙…
ゴーシュがチェロを練習しているところへ三毛猫がトマトを差し入れにやってくる。よく見るとゴーシュの畑で取れたトマトだ。ゴーシュは抗議して三毛猫に帰れと迫る。だが三毛猫はひとつ、シューマンの曲(トロイメライ)を聴かせてほしいとリクエストする。…
宮沢賢治作品には法華経を主として華厳教などでも描かれる黄金色や白銀色にきらきら光り輝きながら世界中がゆらゆら流動していくシーンがたいへん多く見られる。次のように。 「何というきれいでしょう。空がまるで青びかりでツルツルしてその光はツンツンと…
或る「土曜日の夕がた」、一郎のもとに山猫から手紙が届いた。「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい」という招待状。翌朝、一郎は「ひとり谷川に沿ったこみちを、かみの方へのぼって行きました」。途中、「栗の木・滝(たき)・きのこ・栗…
虔十(けんじゅう)は「猫の事務所」に出てくる<かま猫>にとてもよく似た境遇を生きている。すでに述べたように<かま猫>は勤務先の事務所の中の最底辺に置かれている。その意味で猫の「事務所」は「教室・職場」という言葉に置き換えて読むことができた…
神は<神>だ。それ以上でもなければ以下でもない。ゆえにというべきか<神>だとはいっても<土着の神>の知らないことはたくさんある。或る日、東北地方の土神が愛する樺に木の前でこう洩らす。「たとえばだね、草というものは黒い土から出るのだがなぜこ…
宮沢賢治「カイロ団長」の冒頭はこう始まる。 「あるとき、三十疋のあまがえるが、一緒(いっしょ)に面白(おもしろ)く仕事をやって居(お)りました。これは主に虫仲間からたのまれて、紫蘇(しそ)の実やけしの実をひろって来て花ばたけをこしらえたり、…
町の博物館の戸棚の中に、いずれも剥製(はくせい)だが、四疋の蜂雀(はちすずめ)がいる。管理人のいる前では文字通り剥製であり動くはずはなく語ることもない。しかし宮沢賢治は博物館にやって来た一人の子どもに向けて蜂雀に語る機会を与える。それは「…
「荘子・大宗師篇」に次のエピドソードがある。或る時、四人仲間の一人・子輿(しよ)が説明不可能な病気にかかった。 「曲僂發背、上有五管、頣隠於齊、肩高於頂、句贅指天」=「背中はひどい背むしでもりあがり、内臓は頭の上にきて頣(あご)は臍(へそ)…
流浪の身となった光厳上皇。吉野の後村上帝に会うことは叶ったものの天皇が同時に二人いるという事態は認められるはずもない。京の都を目指してさらに山中を旅する。「牖里(ゆうり)」は「羑里(ゆうり)」のこと。 「先年牖里(ゆうり)の囚(とら)はれに…
光厳上皇は吉野の御村上帝を訪れる。さらなる回想シーンが続く。 「呉越(ごえつ)の会稽(かいけい)に謀(はか)りし」(「太平記6・第三十九・十二・P.199」岩波文庫 二〇一六年) 「史記・越王句践世家」から。 「越王は残兵五千人を取りまとめて、…
文永の役(一二七四年)・弘安の役(一二八一年)について語られた後、さらに神功皇后新羅征伐説話が回想される。「太平記」はその冒頭で、漢の高祖(劉邦)の臣下・張良が若かった頃、太公望の執筆によるとされる兵法書を手に入れたエピソードに触れる。 「…
道朝(どうちょう)斯波高経の面子(メンツ)を丸潰しにした佐々木道誉主催「大原野(おおはらの)花会(はなえ)」。「太平記」はこうも語る。 「花開き花落つる事二十日、一城(いちじょう)の人皆狂せるが如し」(「太平記6・第三十九・六・P.164」岩…
芳賀兵衛入道(はがひょうえのにゅうどう)軍(いくさ)の条にこうある。 「平家の侍後藤兵衛(ごとうひょうえ)が、主(しゅ)の馬に乗つて逃げたりし」(「太平記6・第三十九・四・P.150」岩波文庫 二〇一六年) 一の谷合戦で本三位中将(ほんざんみの…