文和二年(一三五三年)、後光厳帝を奉じた足利義詮軍だったが、その夏頃から劣勢に陥り、近江へ退却。今の滋賀県大津市坂本付近へ一旦落ち、秋冬にかけてさらに東近江へ落ち延びた。坂本のすぐ北の堅田・真野・和邇(わに)の合戦で佐々木道誉の子・秀綱(…
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