Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

Blog21・「太平記」に見る軍事行動神格化依存症

風一つ吹いていないにもかかわらず、或る時、住吉大社の大楠がぽきりと折れた。折しも「楠=楠正成」という語呂合わせに過ぎない言語的アナロジーが、とりわけ南朝方にすればもはや神格化されて久しい時期。どうしよう。慌てだした。

一方、源氏物語成立以前、九〇〇年代半ば頃、比叡山の僧侶らが僧兵化して傍若無人に振る舞い出していたちょうどその時、比叡山の松の緑の葉が一度にすべて枯れ果て変色してしまうという現象が発生したことがあった。その時はなぜ僧侶が武器を手にそこらへんをうろつきまわっているのか、勘違いもはなはだしいという神託が下ったため、武器を手放し勤行三昧に切り換えたところ、松葉はみるみる元通りの緑に立ち返った。遠い過去のエピソードが少しばかり語られる。

「月に叫ぶ峡猿(こうえん)の声」(「太平記5・第三十四・九・P.308」岩波文庫 二〇一六年)

静寂を理想とする修行道場としての山岳地帯が戻ってきたというのである。「哀猿(あいゑん)月に叫ぶ」の箇所は「和漢朗詠集」からの引用。

「瑤臺霜満 一声之玄鶴唳天 巴峡秋深 五夜之哀猿叫月 

(書き下し)瑤臺(えうたい)に霜(しも)満てり 一声(いっせい)の玄鶴(くゑんかく)天に唳(な)く 巴峡(はかふ)に秋深し 五夜(ごや)の哀猿(あいゑん)月に叫ぶ」(新潮日本古典集成「和漢朗詠集・巻下・猿・四五四・謝観・P.173」新潮社 一九八三年)

しかしそれも今やもはや昔の単純素朴な逸話に過ぎなくなっている。口に出し心に念じる言葉はなるほど同じでも、全国各地が戦火の巷と化しており、そもそも自分たちから率先していついかなる時にでも戦闘態勢を取れる社会構造の一角を占めている限り、あらゆる祈祷・読誦はすべて呪詛として受け止められるほかない。ニーチェはいう。

「怪物と戦う者は、自分もまた怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗(のぞ)き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」(ニーチェ善悪の彼岸・一四六・P.120」岩波文庫 一九七〇年)

ゆえに「太平記」自身の語りがありありと語っているように、登場するすべての人・物・金銭など、どれもすぐさま打ち続く戦闘行動の文脈の中へ引き戻されて考えられるようになる。こうある。

「楚(そ)の項羽(こうう)が自ら盧舎(ろしゃ)を焼いて、再び本(もと)の陣(じん)へ帰らじと誓ひし道か」(「太平記5・第三十四・十・P.312」岩波文庫 二〇一六年)

何度も繰り返されるフレーズ。「史記項羽本紀」から。

項羽は全軍を率いて河を渡り、船をみな沈め、釜や甑(こしき=栗を炊くとき用いる器)を破り、屋舎を焼き、三日間の糧を携え、士卒の必死を期して、少なくも生還の心のないことを示した。このため鉅鹿(きょろく)に着くとたちまち王離を包囲し、秦軍(章邯の軍)とあって九戦し、その甬道(ようどう)を絶って大いにこれを破った」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.204』ちくま学芸文庫 一九九五年)

しかしその種の有名なフレーズは、なぜ、どうして、これでもかとしつこく反復されるのだろうか。さらにこうもある。

「その塁上(るいじょう)を望んで、飛鳥(ひちょう)驚かざれば、必ず敵詐(いつわ)つて偶人(ぐうじん)を為(つく)れりと知れり」(「太平記5・第三十四・十三・P.320」岩波文庫 二〇一六年)

兵法書六韜」から。

「敵軍の太鼓や鐸の音に耳を傾けても、何の音も聞こえず、敵城の上を望み見るに、飛鳥が数多くいて悠々と飛んで驚くようすもなく、営塁の上に人間がいる気配がない場合は、かならず敵は人形をおいて偽装しているだろうことを知ります」(「六韜・第四巻・虎韜・第四十一・火戦・P.165~166」中公文庫 二〇〇五年)

ところで或る日の夜、北野天満宮の一室に三人の学者が寄り合い問答を交わし合うシーンがある。

「漢楚(かんそ)七十余度の戦ひも、八ヵ年の後、世(よ)漢に定まれり」(「太平記5・第三十五・八・P.361」岩波文庫 二〇一六年)

世界史的戦争の一つ「項羽と劉邦」との激突でさえ八年間だったではないかと。「史記項羽本紀」から。

「わしは兵を起こして以来、今に八年である。みずから七十余戦し、当たるところの者は破り、撃つところの者は従え、いまだかつて敗れたことがなく、ついに天下を取った。しかも今ついにここに困窮するとは、天がわしを滅ぼすのであって戦いの罪ではない。今日はもとより死を決している」(項羽本紀・第七」『史記1・本紀・P.232』ちくま学芸文庫 一九九五年)

さらに本朝では「前九年の役」がおよそ十二年。また源平合戦は三年で勝負がついた。にもかかわらず今度の軍事行動はすでに三十年以上続いているのになお先が見えない。なぜだろうか。

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