一方、Kが最初に逮捕された時、監視人たちは言っていた。日常の銀行業務をこなすことは全然問題ない、裁判の被告として逮捕されただけだからと。そのためKを銀行へ送らせるためにわざわざ三人の行員を連れてきていた。そのうちの一人クリッヒがKの帰郷直前になって<手紙>を持って「命の危険さえあるような跳び方でKのあとを追っかけてきた」。頭にきたKはクリッヒが差し出した手紙を「手からひったくり、引き裂いた」。
「彼がすでに階段まできた最後の瞬間になって行員のクリッヒが、明らかにKの指示を仰ごうとするらしく、書きかけの手紙を手にして上のほうに現れた。Kはむろん紙をひらひらさせながら、命の危険さえあるような跳び方でKのあとを追っかけてきた。Kはそれにあまりにも腹が立ったので、クリッヒが中央階段で追いつくと手紙を手からひったくり、引き裂いた」(カフカ「審判・母のもとへ・P.362」新潮文庫 一九九二年)
ぎくしゃくした出現方法や不意打ちの呼びかけは「城」に登場する二人の助手にも共通している。そして一方は銀行員でもう一方は助手だとはいえ、いずれにしても事実上Kの監視人を兼ねている。帰郷に当たって普段は読むだけに留めている<手紙>を取り上げて郷里へ帰ろうとするK。珍しい態度だ。しかし帰郷する気持ちを起こさせた<手紙>に従うと同時にいつもはもしかしたら裁判に関係があるかもしれないと思い取り上げるはずのクリッヒの<手紙>をKは「引き裂い」て捨てる。一方を取り上げた以上、もう一方は捨て去らなければならない。一石二鳥は許されていない。もっとも、許さないのは一体誰なのか。Kはどちらの<手紙>も尊重することができる。だがこの場面ではそうしない。呼んでおいた車に乗ってとっとと郷里の小都市へ向かった。
「審判」ではこのすぐ後に短編として分離されている作品「夢」が置かれる予定だったようだ。編集過程で除かれてしまったが。そこで面倒だが断片「母のもとへ」に続けて短編「夢」に目を通しておかねばわけがわからなくなってしまう。形式はタイトル通り夢の中の出来事ということになっている。郷里の墓地へ向かって歩いている。墓地なので墓があるのは当り前。しかしその中で掘り返したばかりの墓がKの気持ちを引いて仕方がない。夢の中の行動は誰しも経験があるようにひょいひょい滑ったり飛んだりすることがあるが、Kもまた滑っていく。なので滑り過ぎに注意しながらようやく気になって仕方がなかった墓石の前にたどり着いた。この箇所でも二人の男がおり墓石設置作業に当たっている。見ていると第三の男が現れた。服装から判断するに芸術家のように見える。
「Kはよろめいて墓の前でぺたりと膝をついた。二人の男がうしろに立っていて墓石をもち上げている。Kの姿を見たとたん、男たちは墓石をズブリと土に突き立てた。墓石は漆喰(しっくい)で固めたようにどっしりと立っている。このとき繁みから三人目の男が現われた。Kにはすぐにその男が芸術家だとわかった。ズボンとシャツ姿で、シャツのボタンをきっちりはめていない。ベレー帽をかぶり、ふつうの鉛筆を手にもっていた。こちらにむかって歩いてくる途中、その鉛筆で何やらいろいろ描いていた」(カフカ「夢」『カフカ短編集・P.169』岩波文庫 一九八七年)
墓石の前に屈み込んだ芸術家は墓石の表面に何か文字を書いている。ところがKの姿を見たとたん、作業を中止してしまった。とても気まずそうな困惑した表情をありありと浮かべている。Kはとんだ邪魔をしてしまったのかも、と思い、気まずい思いに陥った。芸術家もまた困惑したままだ。事態は膠着する。芸術家の「爪先立ち」もクリッヒが見せていた「跳び方」と同じように極端な歪みを伴っている。
「彼は爪先立ちして左手で石の表面を押えている。実に見事に腕を振って、ふつうの鉛筆で金文字を書いていく。『ーーーココニ眠ル』。見事な文字だった。くっきりと彫(え)りこまれ、燦然(さんぜん)と金色に輝いている。こととき芸術家がKの方を振り向いた。Kは『ーーー』のところが知りたくて男など見ないで墓石ばかり見つめていた。その男はさらに書き入れようとしたが、どうもやりにくいらしかった。何か不都合なことが起こったようで、鉛筆をおくと、またもやKの方を振り向いた。このときようやくKはまじまじと芸術家を見た。あきらかに彼はとても困惑していた。その理由が言えないのだ。先ほどまでの元気さが嘘のようにしょげ返っている。それを見ていてKも困惑した。二人は困りはてて目と目を見合わせた。とてもいやな誤解があって、どちらも手をつかねているのだ」(カフカ「夢」『カフカ短編集・P.169~170』岩波文庫 一九八七年)
いたずらに時間を浪費しているわけにもいかない芸術家は思い切って墓石の表面に文字の続きを書き込んだ。「J」とある。ヨーゼフ・Kの頭文字だ。盛り土に見えていた部分は実は単なる飾りに過ぎず、その下にはぽっかりと大きな穴があらかじめ掘られていた。Kはただちに事態をつかむ。「すべてがとっくに準備されていた」と。するとなぜかKの身体は墓穴に流れ込んでいく。
「両手の指で土を掻いた。なんてことはない。すべてがとっくに準備されていたのである。ほんのお体裁に盛り土がしてあっただけなのだ。下にはすっきりとした壁をもつ大きな穴があった。Kはゆるやかな流れにゆられて、仰向けのままその穴に沈みこんだ。首はまだ起こしていたが、穴にぐんぐん引きこまれていく間に、堂々とした飾り書体で墓石にKの名前が完成した」(カフカ「夢」『カフカ短編集・P.170~171』岩波文庫 一九八七年)
クリッヒの<手紙>は裁判所関係のものに違いないだろうと思われたわけだが、一方の郷里からの<手紙>もKが被告であることを忘れないようにするため誘い出されたものだった。ところでこの墓石の下に掘られていた「大きな穴」は墓である以上、Kの身体に合わせて採寸されているはずである。ちなみに短編「流刑地にて」に出てくる処刑機械は「《ベッド》と《製図屋》、そして身体を切り刻む鋼鉄製の《まぐわ》」の三つの部分で構成されていた。このうち「《ベッド》と《製図屋》」はどちらとも同じ形をしていて墓石に似ている。そして処刑は機械を操縦する将校ではなく「《まぐわ》」が「執行する」のだと将校はいう。
「『くわしくご説明いたしましょう。《ベッド》にも《製図屋》にも、それぞれバッテリーがついております。《ベッド》のバッテリーはそれ自体を動かすためのものですが、《製図屋》のバッテリーは、下の《まぐわ》を動かすためのものでしてね。囚人を固定させると、《ベッド》が動き出すのです。ほんのわずかな動きですが上下左右によく動きます。どこかの病院でこんな装置をごらんになったことがありませんか。ただし、この機械は一つの点でちがっております。動きがすべて正確に計量ずみなのです。《ベッド》の動きが《まぐわ》の動きと、ぴったり一致するようになっておりまして、まさしくこの《まぐわ》が判決を執行するのです』」(カフカ「流刑地にて」『カフカ短編集・P.57~58』岩波文庫 一九八七年)
旅行家と将校との間で何かどこかがおかしな奇妙な対話が続く。判決について囚人は何一つ知らないらしい。だが刑は執行される。「執行する」のはあくまで「《まぐわ》」だからというのが将校の説明である。
「旅行家はいろいろなことをたずねたかったが、囚人のようすをみて、ただこう訊(き)くだけにした。『どのような判決を受けたのか、当人は知っているのでしょうね』。『知っておりません』。いそいで説明しようとするのを旅行家がさえぎった。『自分が受けた判決を知らないのですか』。『ええ』。なぜそんなことを訊くのか、むしろそれを知りたいとでもいうふうに将校は口をつぐんだ。『わざわざ告げてやる必要などないのです。当人のからだで知るのですから』」(カフカ「流刑地にて」『カフカ短編集・P.60』岩波文庫 一九八七年)
囚人が自分の犯した罪の「判決」について知るのは、囚人の身体において「判決」が書き込まれる瞬間である。処刑機械が動き出すや一挙に強度が集中する自動機械的な装置。またこの機械は一度動き出すと処刑をすっかり終えてしまうまで誰にも止めることができない。プラハで半官半民的な職業に就いていたカフカは、一度動き始めると止まらない資本主義の自動機械性と官僚主義の一度決定されるとくつがえすことがほぼ不可能な「判決」とについて、技術者の立場から淡々と記述するだけでもう、未来に訪れるであろう新しい世界の相貌が見えていたのかもしれない。
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