Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

Blog21・退院後リハビリ創作(1998~1999.長岡京市在住時代)

落ちない肌(25)

 

詰所隣の観察室を覗いて点滴中の左近の様子を見ておく。ぐっすりよく眠っている。二、三日食事は摂れないか摂れても流動食なのだが点滴に制酸剤のH2ブロッカーを入れてあるのでもし多少胃酸が出てきたとしても逆流してまた嘔吐するようなことはまずない。それを確かめたチャは槙島のいる二号室へ向かう。

 

軽くノックして部屋へ入る。槙島はいつもと変わらずベッドで休んでいる様子。見た目は何一つ問題ないようにしか見えない。

 

「槙島さん、おはよう」

 

「ああ、チャさんか。なんかあったの?昨日ミーティング行ったはずの左近が朝見たらいないんだけど」

 

「左近さんね、ミーティング会場で昔のお知り合いとばったり鉢合わせたらしくてパニック起こして倒れちゃった。今は観察室で治療中。よく寝てるみたい」

 

「そうなの。で、おれに何か用?」

 

「朝ご飯もう食べたのかな。今朝はパンと―」

 

「野菜ジュース。食った。マーガリンは苦手なんでイチゴジャム塗って。たまに出てくるアーモンド好きなんだけど」

 

「まあそう言わずに。それより食べれてよかった。でね、槙島さん退院まであと五日ほどだから中間施設へ移る前に必要な持ち物の説明とかします。筆記用具持って、そうだなあ、できれば今でも詰所来れます?時間あるかな」

 

「そのことか。いいよ。今なら暇だし」

 

詰所へ戻るとすぐ初瀬とタッチ交代。ケースワーカーを交えて話をすることもあるのだがそこまで大ごとが起こったというわけでもない。起こるかもという段階で前もって話をよく聴いておくことが大事だ。あまり慌ただしく動くと他の患者にいらぬ刺激を与えてしまう。ほどなく槙島が入ってきた。

 

「槙島ですが」

 

「こっちです。カーテン付いてるほう」

 

「おれ別にテーブルでいいよ。聞くだけだし」

 

「患者さんの朝食済んだとこでテーブルの上いろいろ散らかってるから。他の看護師さんはそこでお薬の準備始めなくちゃなんないし」

 

詰所の奥のカーテンで間仕切りできるところは何脚かの椅子だけでなく簡易ベッドの用意があり、新患の入院時にもし家族や付き添いがいる時など主に家族向けの説明を行う場所として使うのが通例である。チャのほうから切り出す。

 

「さっき言ったように持ち物の説明します。それと中間施設へ移るの近いので向こうで見てもらうことになる今の気持ち?それちょっとだけ聞かせてもらっていいかな。たいしたことないならたいしたことないで平気だし」

 

「そういうことなら―」

 

ひと呼吸おいて槙島は話し始めた。

 

「何度か院内ミーティングで言ったけど、ここに来てから言いたいことは随分言わせもらったし聴いてももらったわけでね、もう十分って気持ちはある。細かい話はおいとくとして、本音のところで考えてきたことを言えたのって思えばここに来てからが生まれて始めてだなあと。おれみたいな極悪人どこ探してもちょっといないってのも実際あるんだけど、それでもチャさんはまだ若いのにしっかり付き合って聴いてもらったって思ってる。よく我慢してくれた」

 

「我慢なんて」

 

「いや、いくら仕事だと割り切ってても多少なりとも持久力とか自制心とか持ってて我慢できなかったらとてもじゃないけどやって行けないってのはね、そりゃあ見ててわかる。そんで今の気持ちだったかな、言うとね、葵のことになるんだけど昨日仕事終わって電話かけてきたんだ。消灯間際に。得意客を駅まで送ってったとこで気に入ってもらってるみたいでうれしいって。得意客といってもどんなお客なのか気になるから聞いてみたら、まあ葵はああいう性格だから自分から詳しくは言わないんだけどね、何でも日記のやり取りさせてもらっててそれがいつもありがたがられてるらしい。珍しいことがあるもんだと。けどあんまり深く訊くとこれまた黙り込むだろうしそれ以上は話さなかった。体に気をつけて無理すんなよってそれだけ言っといた」

 

「一番気になることをひとつだけ上げるとしたら葵さんのことになってきます?」

 

「そうだね。葵は待ってると言うんだよ。おれみたいな親でも。けど中間施設行けば逆にますます遠のくのは葵もよくわかってるはず。チャさんもわかるだろう。もう三年目だったかな、ここの勤務。答えてくれなくていいよ」

 

「槙島さん」

 

「前にここのケースワーカーやってた人、患者の話や患者家族の相談までいろいろ背負い込んでまだ四十代くらいかな、自分が依存症になったでしょ。週に三回くらい臨時雇いみたいな感じで病棟の修理とかペンキ塗りとかやってる。牛見稲荷病院のミーティングに顔だした時たまたま一緒になってね。話聴いてたら昔はかなり激務だったってわかるんだけど話自体うまく聞き取れないくらい呂律がおかしくなってんだよね。酒抜いて病院から出る薬で調整しててもあんなに聞き取りにくいとこまで行くのか、それでもミーティングに顔だそうって気持ちがあるのかと」

 

「槙島さんのお話しましょう。他に気になることってないですか?心配事でもなんでもいいです」

 

「考え出したらキリがないと思うし。向こう行く時の持ち物、とりあえず聞いてメモっとく」

 

カーテンの間仕切りを開けると午前の点滴準備が整ったようでこれから担当看護師らがそれぞれの病棟へ運んでいく。その中にまぎれて槙島も二号室へ戻ったようだ。

 

聴けることは聴けたのだろうか。一度にすべてを聴けるはずがないとはいえ葵のことが気がかりなのはもっともだろうとチャは思う。むしろ父娘関係ならとっくの昔に断絶し連絡が取れなくなっていてもおかしくない。そんなもっともな話、当たり前の話さえ、入院当初は何一つ聴かせてくれなかったことを思えばせめて一歩か二歩は前へ進んでいるように見えるのだが。

 

でもなぜ三階のベランダから一階の地面をぼうっと覗き込んだりしているのだろう。直接問いただすことはできそうにない。ただでさえ神経質になっていて長女葵のことで不安が募っている時期に下手な声かけになってしまえば最悪の事態を招くことになる。チャは気持ちを切り換えて他に担当する患者用の点滴を運ぶ。

 

開放病棟では患者の自主性を重んじるわけだが、だからといって自殺企図が見え隠れする患者の自主性とは何でありどこからどこまでをいうのか。初瀬が久世から聞いた話では一度でなくここ数日続いているようだ。

 

一方葵は葵でそれなりに居場所を見つけたようにも思う。居場所とは何かについてわかり始めているような気がする。北小路ミーティングの雰囲気がこのところいいと評判なわけだが特に昨今急増してきた女性の依存症者が退院後も結構居心地良く通えるという点が大きいのだろう。性被害や家庭内暴力など過酷なトラウマを背負った女性患者が多くその点で患者家族の葵も話しやすい空気がありさらに男性を含めてみても参加者は若い。

 

チャが昼食を済ませ午後の勤務に就こうとしていると久世が血相を変えて詰所へ飛び込んできた。

 

「チャさん、います!?」

 

いきなり名前を呼ばれてなんだろうと振り向くと久世はもうチャの目の前にいる。

 

「槙島さん、酒のボトル買ってきてベランダでラッパ飲みしてる」