落ちない肌(35)
北小路ミーティングへ病院から電話連絡があり今日の午後の女性ミーティングへ参加者三名をお願いしたいという。ひとりはすだち、もうひとりはすだちと相部屋の女性、当事者はそのふたりだけだが付き添いで看護師の初瀬が同行すると。
やっとすだちが戻ってきてくれる。そう安堵する一方、亜美は病院主催の学習会でまた新しい課題を提出されたばかり。どんな課題か。
専門病院への入院はよほどの特例でない限り原則三回とされている。そうでないと飲んでは入院し体の調子が回復するとまた飲んでは入院するという悪循環が死ぬまで続いていくからだ。この種の入退院の繰り返しはあっという間に癖になってしまい病院依存というさらなる依存症と重なってしまう。
だったら自助グループは違うのかといえばそんなことはない。まともな病院では相手にされなくなる患者はごろごろいる。それでもせめて自助グループへ行けば救われる形になってはいる。そのことがかえって患者にとってよくない事態を招いてしまうケースがたまに発生する。
専門病院への入院が受け入れられない場合、患者は何を考えるか。一度入れば二度と生きて出られないような終身監獄みたいな強制施設へ放り込まれることは嫌がる。わざと犯罪を犯して刑務所へ入る人間ならしばしば見かけるけれどもそれはそもそも体力に恵まれていて所内の厳しいスケジュールをこなしているほうが専門病院での対人関係再構築プログラムやミーティング参加より楽ちんだと思える人に限って見られる傾向で一般的とは言えない。そこで患者はどうするかというと酒浸り薬漬けになっても一度内科へかかり体の治療だけを済ませて自助グループへ入る。
自助グループでは基本的に来るものは拒まない。去るものを無理に追わない。すると患者は個人差はあるものの一、二年に一度くらいの頻度で酒浸り薬漬けになった後また内科治療を通して自助グループへやって来るパターンを延々繰り返すようになる。ということは自助グループのあり方そのものが本末転倒を起こし患者にとって都合のいい依存対象になってしまう。自助グループであればいつでも門戸を開いているということ自体がかえって患者との間で共依存関係を作る装置として機能する。自助グループさえあればいつでも救われるという環境が患者の頭にある限りこれまた死ぬまで同じことを繰り返すばかりだろう。
かといっていっそのこと自助グループを閉鎖してしまえばいいのか。それでは救われる患者も救われなくなってしまう。救われたい助け合おうと真面目に考えている患者がまだまだ大勢いるなかで自助グループ、あるいは性被害者や家庭内暴力被害者のためのシェルター的存在をまったくなくしてしまうことはできない。そしてそこでは患者の回復レベルに応じて身体的にも精神的にもでき得る限り安心安全な環境が保障されなくてはいけないだろうと思う。そうでなければ孤立無縁で劣悪な生活環境へ意図せず追い込まれた人たちの生の声を聴き届け仲間として受け入れ生活改善へ繋げていくことなどとてもできない。
そこで今検討されているのが必要に応じてということなのだがその具体的なプランというのがなかなか見えてこない。もっとも、わかりやすい例ならこれまで幾つか検討され実施されてきたし部分的にはここでも実現している。例えば女性限定ミーティングがそうだ。
異性の前では話しにくい事情をわざわざ話す必要はない。しかし誰にもなんにも言えないままたったひとりでストレスやトラウマを抱え持ったまま生きていくのはあまりにつら過ぎるし重すぎることが多く、そんなケースの受け皿としてジェンダーに寄り添う形で成立したのが女性限定というスタイルだ。それが思いのほか人気で入院中のすだちを含めキャメや患者家族の葵など毎回顔を出してくれる。夜しか時間の取れないコロや美佳のことは気がかりだが亜美は亜美にできることしかできない。しかしできることなら自分の限界を越えてしまわない範囲で取り組む。そのあたりの加減はこの四年間で身に付いてきたように思う。
さて、すだち一行。病院前でバスに乗り北小路ターミナルまでは十五分もかからない。途中でターミナル一階の飲食街に立ち寄ってもいいくらいだが入院中のミーティング参加では男性患者の場合でもそれはできない。直行直帰。
特に女性の場合喫茶店でもアクセサリー等小物の店でも立ち寄るとたちまち男が馴れ馴れしく声をかけてくる。お金がほしいなら体買うよ?と。体を買われるのは嫌だし馴れ馴れしさに苛立ちもするのだが苛立ちや腹立たしさという感情はどういうわけか飲酒欲求へ結びつきやすい。それがわかっているからこそ男はわざわざ手の込んだちょっかいを掛けてくるのであり、そんな軽々しい男の挑発に乗ってはいけない。
しかし同時に頭を掠める。お金が手に入ると酒を手に入れることができると。一度そこへ頭が動いてしまえばとりわけたったひとりかふたりでいる時は湧き出てくる飲酒欲求から気持ちを逸らして切り換えることは大変むずかしい。そんな場面になってしまうことを警戒して看護師の初瀬がさりげなく付き添う。
たとえ途中でどこかの店へ入らなくても女性が道を歩いているというだけで判で押したように付きまとう男は昼間からうじゃうじゃいる。初瀬はどうするか。まともに相手をしない。素知らぬふりで無頓着を装えばいい。
天気の話はどうか。
「すだちさん、テレビ見てたみたいだけど午後から雨降るって言ってた?」
ではいけない。
「それなら知ってるよ」
とこれまた軽薄な男の声が割り込んでくる。そうではなく、
「午後から雨だし急ごう」
とわき目をふらせないのが大事だ。実際の天気予報がどうであれ。あるいは、
「アーサー・ヘンリー・デイヴィッド・スクレパーの脱植民地宣言行さ、まだ読んでる途中なんだけどお」
と世界中どこを探してもありもしないホラ話を急遽でっち上げてその場をやりすごす。さらにしつこそうな相手の場合、
「アラファトがブッシュ殺すとか逆にブッシュがアラファト殺すとか言ってるらしいんだけど写真に映ってるのはなぜかクリントンなんだよねえ」
とか。
しかし難しいのは思わず「失礼ですよ」と返す態度。どれほど正しい反論であっても相手によりけりで過剰に刺激してしまっては危険な場合が発生する。「なんだとこら。人数呼ぶぞ、おい」となれば走って逃げるほかない。