「私は案内人に随って、その時居た地点から屋根屋根が集まってこの異様な光景を呈しているその高い住宅地の一つに下りて行った。私の足は様々の時代の建物の累層の中に沈んで行くように思えた。これ等の建築物の幻影は、各世紀の特殊な趣味の際立って見える他の幻影を、次から次へと現出し、そして風が吹き渡り、生々とし、様々の光の反映が通過しているのを除けば、之は古代都市を発掘するような光景を私に示した」(ネルヴァル「オーレリア・P.24」岩波文庫)
あたかも「古代都市を発掘するような光景を私に」呈する。だんだん時代をさかのぼりながら「各世紀の特殊な趣味の際立って見える他の幻影を、次から次へと現出し」つつ。ところでヨーロッパの古代都市は基本的に石の文化が諸層をなしている。始めは巨石信仰から始まる。
「巨石文化の死者祭祀には、さまざな儀礼(行列、踊りなど)のほかに、供物(飲食物など)、巨石群近くで行なわれる供犠、墓の上での儀礼的な食事がある。いくつかのメンヒルは、埋葬とは無関係に築かれていた。おそらく、これらの石は一種の『身体の代用』であり、そこに死者の霊が宿るのである。つまり、《石によるこの『代用』は、死者がいつでも永らえるように作られた身体なのであった》。メンヒルが人間の像で飾られていることがある。言いかえれば、それらは死者の『住居』、『身体』である。同様に、ドルメンの内壁に描かれた、様式化された人物像は、スペインの巨石墳墓から発掘された小像とともに、おそらく先祖をあらわしているのであろう」(エリアーデ「世界宗教史1・P.175」ちくま学芸文庫)
有名なものは今なお世界遺産として残されている。
「カルナックやバークシャーのアシュダウン(イングランド南部・一辺が二百五十メートル、他の一辺が五百メートルの平行四辺形を形づくる八百基の巨石を含む)のようないくつかの巨石複合群が、重要な祭祀センターであったことは疑う余地がない。祭りにおいては、犠牲が捧げられ、おそらく踊りや行列も行なわれたであろう。事実、カルナックの列石に沿った広い道路は、数千の人間が行列して歩くことができた。おそらく、ほとんどの祭りは死者儀礼に関係していたであろう。イギリスにある他の同種の構造物と同様に、ストーンヘンジのクロムレックは、埋葬塚がひろがっている野原の真ん中に位置している。この有名な祭祀センターは、すくなくともその本来の形態においては、先祖との関係を保証するために建てられた聖域を構成していた。構造からいえば、ストーンヘンジは、他の文化における神殿や町のような、聖所から発達した巨石複合群と比較できる。どちらにおいても、聖域は『世界の中心』として意味づけられている。『世界の中心』とは、天界や冥界との、神々や地下の女神たちや死者の霊との交流が実現される特権的な場のことであった」(エリアーデ「世界宗教史1・P.177」ちくま学芸文庫)
イギリスのストーンヘンジなどは余りにも有名。だが南フランスでは一九六〇年代の調査で三千基の巨石墳墓が発掘され、アヴァロン県だけで六百基を越えた。この流れはヨーロッパ北部から始まり徐々に南下し中央アジアを横断し朝鮮半島に到達している。祭祀や埋葬のために利用された。ヨーロッパのものは天井石の位置が高く、その下で踊ったのだろうと考えられている。時代が降るにつれて天井石は低い位置に変わってくる。朝鮮半島のものは天井石の下部分に空洞はほとんどないので、多分墳墓の周囲が歌舞音曲の場となったと思われる。同タイプのものは日本でも見られる。ほとんどが北九州に集中しているのが特徴。なお数は少なくなるものの今なお西日本各地で散らばって確認される。巨石信仰はたいへん古くその加工のために製鉄技術を必要としたことから、技術者集団の直接的移動があったか、あるいは技術がどんどん伝播していったことがうかがえる。そしてそれは信仰とともに移動したと考えられる。
「アーサー・エヴァンズ卿は、樹木崇拝と聖石崇拝の関連性を強調した。アテネのアテナ・パルティノス(処女神)崇拝にもそれに類似した関連性が見いだされる。すなわち、柱が聖木(オリーヴ木)、およびアテナ女神を象徴する鳥フクロウと結びつけられているのである。エヴァンズは、さらに、近代まで聖柱信仰が存続したことをあきらかにした。たとえば、スコピエ(現在、マケドニアの首都)近くのテケキオイの聖柱はミノス円柱の模造であるが、キリスト教徒もムスリムも崇拝している。聖泉が女神とかかわっているという信仰も古典時代ギリシアにみられ、泉はネーレイス(海の老神ネーレウスの娘たち、美しい海の精)として崇められていた。この信仰は今日にいたるまで存続し、妖精は今でもネレイドとよばれている」(エリアーデ「世界宗教史1・P.203」ちくま学芸文庫)
ネルヴァルは「古代都市を発掘するような光景」と述べているが、その過程を実際に再現するとなると或る種のイニシエーション性を帯びるだろう。
「シャーマンになろうとする者は、奇妙な行動によって人目をひくようになる。いつも夢見がちになる、孤独を求める、森や荒地を好んで徘徊する、ヴィジョンを見る、眠りながら歌を歌う、等々である。ときには、こうした準備期はかなり激しい症状で特徴づけられる。ヤクート人のあいだでは、そうした若者は性格が狂暴になり、容易に意識を失い、森にひきこもり、木の皮を食らい、水や火の中に飛び込み、ナイフで身体に傷をつけたりする。世襲シャーマンの場合でも、シャーマン候補者が選定される前には、その者になんらかの行動の変化が見られる。祖先のシャーマンの魂が、一族中からある若者を選ぶ。すると、その若者はぼんやりした状態になり、夢見がちになり、孤独を求めるようになり、預言的なヴィジョンを見たり、ときには意識を失うほどの発作を起こす。この失神のあいだ、ブリヤート人の言うところでは、魂は精霊に拉致されて神々の宮殿に迎えられるのである。魂はそこで、祖先のシャーマンからシャーマン職の秘密や神々の姿と名前、精霊の名前とその儀礼等について教えを受ける。この最初のイニシエーションがすんで、ようやく魂は肉体に戻ることができる」(エリアーデ「世界宗教史5・P.40」ちくま学芸文庫)
といってもネルヴァルは自分で自分自身の身体を自己破壊したりしていないが。ネルヴァルの自殺は作品「オーレリア」を書き終えた後のことだ。「オーレリア」は一貫している。夢と幻想という方法に忠実に従っている。で、ギリシア神話の中でイニシエーションを実践している人物がいる。有名なテセウスである。いったん、その言動を見ることにしよう。まずは、お約束というべきか、石造の「迷宮」(ラビリンス)に閉じこめられる。
「彼(ミーノータウロス)は顔は牡牛であったが、他の部分は人間であった。ミーノースはある神託に従って彼を迷宮(ラビュリントス)中に閉じこめて見張っていた。迷宮(メビュリントス)はダイダロスが造ったものであるが、『もつれにもつれし紆余曲折(うよきょくせつ)に出口を迷わす』一室であった」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.121」岩波文庫)
すでに若年者に与えられたイニシエーションは始まっている。様々な試練を受ける。
「テーセウスは、成長した時例の岩を押しのけて、サンダルと刀とを取りあげ、徒歩でアテーナイへと急いだ。そして悪人どものはびこっていたこの道を掃討した。というのは、先ず最初にヘーパイストスとアンティクレイアの子で、その手にしていた棒から『棒の男』と綽名されていたペリペーテースをエピダウロスで殺した。この男は足が弱かったので鉄棒を手にしており、それによって通行人を殺したからである。この棒を彼より奪ってテーセウスは持って歩いた。第二にポリュペーモーンとコロントスの娘シュレアーの子シニスを殺した。この男は松曲男(まつまげ)と綽名されていた。というのは、コロントスの地峡に居を構えて、通行人に松の木を曲げさせて、じっと持たせたからである。彼らは、しかし、力足らずして、これをなし得ず、木によって投げあげられて、哀れにも命を失った。この方法でテーセウスもまたシニスを殺した」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.170」岩波文庫)
さらに。
「第三番目にクロミュオーンにおいて、それを育てた老婆の名をとってパイアと呼ばれた牝の猪を殺した。一説にはこれはエキドナとテューポーンの子であると言う。第四にペロプスの、一説にはポセイドーンの、子と言われるコリントス人スケイローンを殺した。これはメガラの地において彼の名によってスケイローニダイと呼ばれる岩を占拠し、通行人に自分の足を洗わせて、洗っている中に彼らを深みに投げ入れ、巨大な亀の餌食としていた。テーセウスは彼の足を引っつかんで、海に投げ込んだ。第五にエレウシースにおいてブランコスとニムフのアルギオペーの子ケルキュオーンを殺した。これは通行人に相撲を強(し)いて、相撲(すま)っている間に殺したのである。テーセウスは彼を高く持ちあげ、大地に投げつけて微塵とした。第六にダマステースを殺した。彼をある人々はポリュペーモーンと呼んでいる。これは道の傍らに家を持っていて、一つは小さな、一つは大きな二つのベッドをしつらえ、通行人を客に招じ、小さい者は大きいベッドに寝かせてベッドと同じ大きさになるように槌で打ち延ばし、大きい者は小さいほうに寝かせてベッドの外にはみ出ている身体の部分を鋸(のこぎり)で引き切ったのである」(アポロドーロス「ギリシア神話・摘要・P.173」岩波文庫)
どの試練を見ても気がつくのは、殺される相手はすべて怪物的存在だという点で一致している。それらは関所とでもいうべき場所に配置されている。あるいはそこに彼らがいることでその場所が関所化しているわけだが、しかしテセウスの殺害行為は関所破りというより、後々ナポレオンが行ったような自由貿易体制の実現である。ちなみにテセウスは後にソポクレス「コロノスのオイディプス」に登場するテセウスと同一人物。両目を失い年老いたオイディプスの面倒を見ようと約束する。ところがオイディプス自身が結局、自分の死に場所を探して再びさまよい出してしまう。最後まで付き添ったのは二人の娘、アンティゴネとイスメネとである。それにしても一方で、なぜ盲目あるいは切腹を目指して自分で自分自身を去勢する男が多く、他方、泣く女が多いのだろう。次の節でテセウスはアリアドネを誘惑することに成功する。これもまた若年者に与えられたイニシエーションの一つだといえる。
「クレータに来た時、ミーノースの娘アリアドネーは彼に恋心を抱き、もし彼女をアテーナイに連れて行って妻としてくれるならば、援助しようと申し出た。テーセウスは誓いをしてこれに同意したので、彼女はダイダロスに迷宮の出口を教えるように頼んだ。彼の教えに従ってテーセウスが入る時に糸玉を与えた。テーセウスはこれを扉に結びつけて、引きつつ内に入った。ミーノータウロスを迷宮の一番端に見出し、これを拳で打って殺し、糸玉を引きつつ再び外に出た。そして夜の間にアリアドネーおよび子供たちとともにナクソスについた」(アポロドーロス「ギリシア神話・摘要・P.174」岩波文庫)
ところでさらに大量殺人を犯す。
「テーセウスはアテーナイの統治権を継承し、その数五十人のパラースの子供らを殺した。同じく彼に反対せんとした者は彼に殺され、彼は全支配権を一人で掌握した」(アポロドーロス「ギリシア神話・摘要・P.174~175」岩波文庫)
というのは、テセウスはまだただ単なる若年者でしかないからである。だから簡単にいうと、偉大な神々に匹敵するほど過剰で逸脱的な活躍ぶりを神々が見ているという条件下で実践して見せなくてはならない。この過剰さ、逸脱ぶり、それはヘラクレスやオデュッセウスにもいえることで、歴史以前的時代からあったアルカイックなイニシエーションの形なのだろう。なお、テセウスに与えられたイニシエーション的試練における最大の見どころは石造の迷宮(ラビリンス)でのミノタウロス攻略である。或る種の石造の場が神格化される事例は東アジアの琉球にもある。折口信夫は次のように報告している。
「琉球では、太陽神の他に、自然崇拝そのままの形を残して居る。それ故恐しい場所、ふるめかしい場所、由緒ある場所は、必、御嶽(オダケ)になって居る。自分の祖先でも、七代目には必神になる。中山世鑑は、七世生神と書いている。此は、死後七代目にして神となると言うことである。以前には、人が死ぬと、屍体を、大きな洞窟の中へ投げこんで、其洞窟の口を石で固め、石の間を塗りこんだものであるが、此習わしが次第に変化して、墓を堅固に立派にするようになった為に、墓を造って財産を失う人が多くなった。七代経つと、其洞の中へは屍を入れないで、神墓(くりばか)と称し、他の場所へ、新墓所を設ける。神墓(クリバカ)は拝所となる。此拝所を《おがん》と言う。時代を経るに従って、他の人々も拝する様になる。此拝所(オガン)が、恐しい場所になって来る。拝所(オガン)を時々発掘すると、白骨が出て来る。此を、骨霊(コチマブイ)と言う。ーーー大体に於て、石を以て神々の象徴と見る風があって、道の島では、霊石に、《いびがなし》(神様)という風な敬称を与えている所もある」(折口信夫「琉球の宗教」『折口信夫全集2・P55~56』中公文庫)
さらに琉球では様々な神々があるが、「神々は現にまだ万有神である。恐しい《はぶ》は、山の神或は、山の口(蝮=クチ<まむし>か)として、畏敬せられ、海亀・儒艮(ジュゴン=ざん=人魚)も、なお神としての素質は、明らかに持っている」(同)と折口は述べている。また自然崇拝というアルカイックな思想信仰は世界中どこにでも残され息づいている。折口信夫の場合、その最も原型に近いものを探究しつつ琉球を例に取っている。
またフロイトは「トーテムとタブー」の中で約二百年前の記録として、フレイザー「金枝篇」から日本の天皇(ミカド)について述べられた箇所を引用している。
「彼(ミカド)は、自分の足を地面につけることが、自らの権威と聖性を大いに侵害するものであると考えている。このため、どこへ外出するにも、男たちの肩に乗せて運ばれなければならない。ましてや、戸外の空気にこの聖なる人間を曝すなどもってのほかであり、日の光はその頭に降り注ぐ価値などないと考えられている。身体のあらゆる部分に聖性が宿ると考えられているため、あえて髪を切ることも髭を剃ることも爪を切ることもしない。しかしながら、あまりに不潔にならないよう、彼は夜眠っている間に体を洗われる。なぜなら、眠っている間に身体から取り去られたものは、盗まれたものであって、そのような盗みは、その聖性や権威を害することにはならないからである。太古の時代には、彼は毎朝数時間玉座についていなければならなかった。皇帝の冠をかぶり、ただ像のようにじっと座っている。手足も頭も目も、それどころか身体のいかなる部分も動かすことはない。これは、自らの領土の平和と安定を保つことができるのは彼自身と考えられたからで、不運にも体の向きをどちらかに向けたりすれば、あるいはまた領地のいずこかの方角を長時間眺めていたりすれば、国を滅ぼすほどの不作や大火もしくはなんらかの大きな災いが間近に迫っている、と解釈されたからである」(フレイザー「金枝篇・上・第二章・第一節・P.165~166」ちくま学芸文庫)
アルカイックというより遥かにアニミズムというべきものだ。次の記述では天皇(ミカド)の持つ両義性=二律背反性について述べられる。
「ミカドの食べ物が毎日新しい鍋で調理され、新しい皿に盛られたことは、先に述べたとおりである。鍋も皿も、一度使われただけで割られるか捨てられるため、平凡な陶器であった。大概の場合は割られたが、これはもし他のだれかがこの聖なる皿で食事をすれば、その口と喉は膨れ上がり燃え上がる、と信じられていたからであった。ミカドの衣類も、その許可なくして袖を通した者には、同様の悪しき結果が及ぶと考えられていた。体じゅうが膨れ上がり痛みだすというのである。このような、ミカドの器や衣類を用いることで降りかかると考えられた忌まわしい結果を考えると、われわれには、これまで注目してきた神なる王もしくは人間神としての性質について、もうひとつ別の側面が見えてくる。神なる人間は、祝福の源であると同時に、危険の源でもあるのだ。つまり、それは守られなければならない存在であるのみならず、避けられるべき存在でもある。あまりに繊細であるため触れられただけで変調をきたしてしまうその聖なる有機体は、強い霊力によって充電されている存在でもあるから、それに触れたものはなんであれ、放出される霊力によって致命的な結果に晒される。したがって人間神の隔離は、それ自身のためであると同時に、他の人々の安全にとっても、是非とも必要なことなのである。その神性は火と同じく、適度に抑制されている限りは絶え間ない祝福を与えてくれるものの、軽はずみに触れるものや境界を踏み越えるものがあれば、なんでも焼き尽くし破壊してしまう。それゆえ、タブーを破れば悲惨な結果が待っていると考えられることになる。違反者とは、聖なる火に手を突き出してしまった者なのであり、火は違反者をその場で縮みあがらせ、焼き尽くすのである」(フレイザー「金枝篇・上・第二章・第三節・P.233~234」ちくま学芸文庫)
さらにフレイザーはアイヌの熊祭りに言及する。折口信夫が琉球神道について神は「まれびと」(=客人)として降臨すると語っているが、それは琉球王朝の神々が東南アジア海岸線沿いに主に海路で到来してくることを述べたものだ。アイヌの熊祭りはどうか。
「ここでわれわれに関係があるのは、アイヌの熊の祭り〔いわゆる『イオマンテ』、『熊送り』を指す〕である。冬の終わりになると、彼らは幼い熊を捕らえて村に連れてくる。最初はアイヌの女が乳を与え、その後は魚が与えられる。強い大人の熊に育ち、入れられている木の檻を壊す恐れがあるほどになると、祭りが催される。しかし『とりわけ驚かされるのは、幼い熊が単に上質の食べ物を与えられるのみならず、呪物として、あるいはむしろ、一種の高次のの存在として扱われ、崇められている事実である』。祭りは一般に九月か十月に行われる。その前にアイヌたちは神々に謝罪し、これまでこの熊を可能な限り大切に扱ってきたが、もはやこれ以上食事を与えることはできず、殺さざるを得ない、と申し立てる。熊の祭りを行う男は親戚や友人を招き、小さな村ではほとんど村人全員がこの祭りに加わることになる。このような祭りのひとつについては、ショイベ博士が目撃し、記録している。博士が小屋に入ると、およそ三十人のアイヌたちがいた。男も女も子どもも、皆盛装している。この家の主人はまず、炉で火の神に神酒を捧げ、他の客たちもこれに倣う。つぎに新酒はこの小屋の聖所で家の神にも捧げられる。その間、これまで熊を育ててきた家の主婦は、ひとり悲しみに沈んで静かに座り、ときおり涙を溢れさす。彼女の悲しみに偽りがないことは明らかであり、それは祭りの進行とともに深まるばかりである。つぎに、家の主人と何人かの客が小屋から出て、熊野檻の前で神酒を捧げる。数滴は皿に入れて熊に与えられるが、熊はすぐにこれをひっくり返す。そして主婦たちと娘たちが、檻の周りで踊る。熊の檻に顔を向け、膝をわずかに曲げ、起き上がっては爪先で飛び上がるという踊りである。踊りながら女たちは手拍子を打ち単調な歌を歌う。熊に向かって両腕を差し出し、愛情のこもったことばで呼びかける。若者たちはほとんど悲しみとは無縁な様子で、笑いながら歌を歌う。騒がしさに心乱された熊は檻の中で激しく動き回り、悲しげな遠吠えを上げる。つぎにアイヌの小屋の外に立てられている、イナウ〔神事に用いられる木製の幣束〕という名の神聖な細枝の束に、新酒が捧げられる。この枝は二フィートほどの長さで、先端は削られ、螺旋状の鉋屑のようになっている。この祭りでは、笹の葉を付けた五本の新しいイナウが立てられた。これは熊が殺されるときにはかならず立てられるものである。笹の葉には、熊が蘇るようにという願いが込められている。熊が檻から出されると、首に縄が掛けられ、小屋の周りを引き回される。この間、男たちは、ひとりの長(おさ)に先導され、先端に丸い木の付いた矢を放つ。ショイベ博士もこれに加わらなければならなかった。つぎに熊はイナウの前に連れてこられ、一本の棒が口に入れられる。九人の男が膝で抑えつけ、柱に首を押しつける。五分後に熊は声も上げずに息絶える。一方主婦たちと娘たちは男たちの後ろに立ち、嘆きながら踊り、熊を殺した男たちは打つ。つぎに熊の遺体は、イナウの前に敷かれた筵の上に置かれ、イナウの中から取り出された剣と箙(えびら)が熊の首に下げられる。熊が雌の場合、首飾りと耳輪もつけられる。そして雑穀の煮汁と雑穀の塊、および鉢一杯の酒が、食べ物と飲み物として熊に捧げられる。死んだ熊を前にして筵の上に座っている男たちは、これに神酒を捧げ、大酒を飲む。一方主婦たちと娘たちは、悲しみの跡をすっかり消し去り、陽気に踊り、老婆たちもまただれにも劣らず陽気に踊る。宴たけなわとなった頃、熊を檻から出した二人の若者が、小屋の屋根に上り雑穀の塊を皆に投げる。皆は老若男女の区別なく、これを奪い合う。つぎに熊は皮を剥がれ、はらわたを抜かれ、胴から首が切り落とされるが、このとき、皮は首のほうに残るようにする。血は椀に受けられ、これを男たちが大いにありがたがって飲む。禁じられてはいないものの、女と子どもは飲まないようである。肝臓は細かく切り刻まれて生のまま塩をつけて食されるが、これは女も子どもも食べる。肉とその他の内臓は家に持ち帰られ、翌々日まで保管されるが、その日には、宴に参加した者たち全員がこれを分け合う。血と肝臓はショベイ博士にも配られた。熊がはらわたを抜かれている間、主婦たちと娘たちは最初と同じ踊りを踊る。だが今回は檻の周りではなく、イナウの周りを踊る。この踊りで、先ほどまで陽気だった老婆たちは、再びさんざんに涙を流す。熊の頭から脳が取り出され、これが塩とともに飲み干されると、頭蓋は皮から切り離され、イナウの傍の竿に吊るされる。熊の轡(くつわ)となっていた棒もまた、竿に括り付けられ、遺体に下げられていた剣と箙も同様に竿に付けられる。後者は一時間ほどで外されるが、他はその後もそこに立てられたままになる。人々は皆、男も女もこの竿の前で騒々しく踊り、今度は女たちも加わって酒宴が始まり、これが終わると祭りも終わる」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十二節・P.134~137」ちくま学芸文庫)
特徴的な点として、女性が実質的な巫女として振る舞っていることを上げておかねばならない。折口は古代日本の神々に与えられていた「初夜権」についてこう述べていた。
「宮廷の采女は、郡領の娘を徴して、ある期間宮廷に立ち廻らせられたものである。采女は単に召使のように考えて居るのは誤りで、実は国造に於ける采女同様、宮廷神に仕え、兼ねて其象徴なる顕神(アキツカミ)の天子に仕えるのである。采女として天子の倖寵を蒙ったものもある。此は神としての資格に於てあった事である。采女は、神以外には触れる事を禁ぜられて居たものである。同じ組織の国造の采女の存在、其貞操問題が、平安町の初めになると、宮廷から否定せられて居る。此は、元来なかった制度を、模倣したと言わぬばかりの論達であるが、実は宮廷の権威に拘ると見た見た為であろう。此事は、日本古代に初夜権の実在した証拠になるのである。村々の君主の家として祀る神の外にも、村人が一家の間で祀らねばならぬ神があった。庶物にくっついて常在する神、時を定めて来臨する神などは、家々の女性が祀ることになって居た。此等の女性が、処女である事を原則とするのは勿論であるが、其は早く破れて、現に夫のない女は、処女と同格と見た。而も其は二人以上の夫には會はなかったものと言う条件があった様である。其が頽れて、現に妻として夫を持って居る者にも、巫女の資格は認められて居たと見える。『神の嫁』として、神に出来るだけ接近して行くのが、此人々の為事であるのだから、処女は神も好むものと見るのは、当然である」(折口信夫「最古日本の女性生活の根底」『折口信夫全集2・P.148~149』中公文庫)
アイヌの場合、古代の狩猟民族の儀式をたいへん実直に保存しているように思える。熊は人間に食料を与えてくれる神聖な動物であり、その神事に臨む場合、とりわけ女性が特権的に泣くと同時に舞いを披露する。場面が変わると再び泣き、そして舞うのである。アイヌにとって熊は神聖な動物である。その神事で中心的に身を捧げるのは男でなく女性なのだ。琉球神道とも共通している。また熊の祭りを行うのはアイヌだけでない。シベリア東部からモンゴル北部、中国東北部にかけて散在するツングース系でサハリンの先住民ギリヤーク族もたいへん似た熊の神事を行う。十九世紀半ばの資料によると熊に魚だけでなくブランデーも振る舞われていたようだ。同じくツングース系のゴリド族もまた熊祭りを行う。頭蓋骨は魔除のお守りとして重宝された。もちろん、アメリカ大陸にも地域の特性に応じて動物神がいる。カリフォルニア山岳民族とコンドルとの関係。
「サン・ファン・キャピストラーノ〔カリフォルニア州南西部〕のアカグケメン族は、偉大なコンドルを崇拝した。一年に一度、『パネス』すなわち鳥の宴という名の大きな祭りが開かれ、人々は一羽のコンドルを、行列を作って酋長の神殿まで運んだ。神殿とは言っても、単に杭で囲っただけの屋根のない場所であったらしい。彼らはここで、血を一滴も流さないようにこの鳥を殺す。皮はすっかり剥がされ、形見として、あるいは『パエルト』という祝祭用の衣装を作る目的で、羽と一緒に保存される」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十二節・P.123」ちくま学芸文庫)
コンドルの羽で祝祭用の衣装を作る。ということはその衣装を着た人間は祭りのときに限ってだろうが、明らかに神性を帯びることを意味する。またフロイトも引用しているが、フレイザーの着眼点の鋭さを示す文章を拾っておこう。
「ヨークシア〔イングランド北東部の旧州〕のある地方では、いまだに最初の麦は聖職者が刈ることになっている。この情報の提供者によると、こうして刈られた麦はミサで拝領される聖体を作るのに用いられるのであろう、とのことである。もしこれが正しければ(またこの類推が全面的に賛同を得られるものであるならば)、キリスト教の聖体拝領とは、キリスト教よりはるかに古いことは疑いようのない聖餐の風習を、吸収したものということになる」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十一節・P.98」ちくま学芸文庫)
少なくともジュネなら間違いなく同意することだろう。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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