Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

Blog21・二代目タマ’s ライフ572

二〇二五年五月二十五日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

 

あのね、昨日のタマ’s ライフは難しすぎるって評判みたいだ。なんでだろう。もっともタマはわかったけど。

 

わかった?

 

タマは猫だからその都度その都度を気ままに生きてるだけで人間の暮らしは知ってても歴史はわかんないでしょ?でも我が家は底辺層だからテレビで国会中継見てるじゃん。そのたびに飼い主が言ってる。労使馴れ合いは百害あって一利もないって。

 

言うのも面倒だな。

 

労使協調って実はまやかしってことでしょ。神話っての?ただの作り話。けど弁証法はその逆。

 

あ、よくわかったね。ちっちゃなお利口さん。

 

物価高続きでこれまで労働運動を無視してた人たちまでようやく実はみそっかす扱いで嘲笑われてたことに気づいたり子や孫の世代までとてもじゃないけどまともに生きていけそうにないってわかってきたんで何とかしなきゃって思って何かやってみたりしてるよ。テレビでちょっと映ってた。海を越えていろんな国や地域で。

 

まあ、やってるんだけどね。しかし日本のマス-コミは職員とその家族をしっかり食わせてもくれないスポンサーにすら頭が上がらないほどまだまだひどいよ。

 

そうなの?

 

社会を無視したければ労働運動を無視すりゃいいってまことしやかな噂話が昔からあってね、そうしてればなぜこの労働者は正社員待遇なのにあの労働者は非正規待遇に輪をかけていきなり解雇の憂き目にあい家庭崩壊に陥ったりするのかってよくわかんなくなるからね。ところがあれほど安泰に見えてたこの社員までじわじわ首のあたりがすうすうしてきて先週まではいたあの社員はもう噂ひとつ聞かないって目に見えてくると明日は我が身と我が家とその子の系列も孫の系列もって大ショックを受けてやっと考えるわけ。そこまで落ちぶれ果てないとわかろうとしない人たちはほんとにわかろうとしないし。

 

むむむ~。人間ってのんきなんだね。

 

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ラシャド・ベッカー。実験音楽の中でノイズをどう位置付けるかはただ単なる効果音というレベルではあり得ず多少なりともそれまでの保守的音楽への抵抗を示してきた。とはいえ始めから耳触りがよく明らかに商業的成功を目指して資本主義をよろこばせるノイズの効果音的利用もしばしば見られる傾向であり、それを嫌っていろんなノイズを工夫するアーティストも結構出てきた。ところが昨今はどんな実験音楽をも「そこそこ売れる」商品としてわかったような身ぶりで取り込み決して排除せず自身の大物ぶりをわざわざ見せつけるグローバル資本主義<公理系>が幅を効かせるようにまでなってきた。ではもうノイズは退屈な資本主義をちょっとばかり景気づけるアクセント的な小道具でしかないのかというとそうでもない。世界は広い。民族音楽のノイズ化やじわじわ溶けるリズムといった手法はコード化されつつ脱コード化してしまうという偶発性を不意に出現させる。それがいつどこで偶発するかしないかというところからして実はそもそも聴き手の好みや体調によりけりで、さらに複数のライヴ&デモでほんのちょっと音を歪めたり歪めなかったりしつつ資本がこっそり求めたがる「スマート」な形態から常にじっくりみっちり逸脱しつづける味わいは「再生回数がこんなにも少ない世界があるって知ってるかい、資本さん?」と資本回転の中でささやきながら資本主義<公理系>の監視管理体系を誘惑する実験音楽の余白を資本自身がますます作ってしまうという逆説を聴かせる。

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