Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

Blog21・二代目タマ’s ライフ577

二〇二五年五月三十日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

 

ねえ飼い主。もう一ヶ月経ったよNHK短歌。一度だけじゃわかんないから他の週のも見ないとって言ってたけど。結局四週かけて一度は見たじゃん。

 

そんで第四週の第二回も。見たよ。って言うかタマも一緒に見てたじゃないか。

 

だって朝ご飯とほとんどおんなじ時間帯に飼い主も起きてるから。

 

まあね。タマ、どう思った?

 

え~とね、ゲストの人がよくしゃべってた。

 

ああ永井玲衣。確かに。けど、よくしゃべり倒すのもテンポよく縮めるところで印象付けるのも上手い人だよ。二年ほど連載読んでてさ、書く技術見てるかぎりではわかりやすいタイプではあるよね。で歌はどう思った?

 

うん。雑誌に載ってるのとNHKで出てくるのとは違うんだなあって。シナリオあるのかな。

 

多少はあるだろうね。それを言えばどの局にでも色々あるとおもうよ。小学校の学級会にでもそれなりの空気の流れってあるし。なんとなく役割分担みたいなのができあがってくるんだ。中学になると教師と優等生とがつるんじゃってたりしてつまらなくなるケースがあるんだけど飼い主はほとんどやる気を喪失してたほうだね。小学校の頃から疲れてたから。アレルギー体質が強烈すぎて年柄年中鬱っぽかったし。でも体育の授業とか嫌いじゃないんだ。で走りたい時は思いきり走り回るんだけど次の教室の授業が始まるあたりから喘息の発作で死にそうになって耐えてるうちに四十五分の授業が終わっちゃう。地獄の六年間だったな。っていうかタマさん、歌はどう思った?

 

うん。永井玲衣さんっていうの?ひとりで手早くまとめてた感じ。

 

永井がいなかったらどうなってたとおもう?

 

そうだなあ、木下龍也さんと尾崎世界観さんとふたりっきりでスタジオの椅子にすわって、う~ん、雑談ならそれなりに弾みそう。でも番組が成立するかどうかは微妙。たぶんぎくしゃくする感じかなあ。イメージでいえば。飼い主はどう思ったの?紹介されてた歌のこと。

 

残念ながら一席から三席まで木下龍也と同じ並びになっちゃった。

 

いけないの?

 

いけなくはないさ。でもね、場所も歌の傾向もちょっと変わってるのに同じってのは、それがかえって引っかかるんだなあ。

 

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ラシャド・ベッカー。実験音楽の中でノイズをどう位置付けるかはただ単なる効果音というレベルではあり得ず多少なりともそれまでの保守的音楽への抵抗を示してきた。とはいえ始めから耳触りがよく明らかに商業的成功を目指して資本主義をよろこばせるノイズの効果音的利用もしばしば見られる傾向であり、それを嫌っていろんなノイズを工夫するアーティストも結構出てきた。ところが昨今はどんな実験音楽をも「そこそこ売れる」商品としてわかったような身ぶりで取り込み決して排除せず自身の大物ぶりをわざわざ見せつけるグローバル資本主義<公理系>が幅を効かせるようにまでなってきた。ではもうノイズは退屈な資本主義をちょっとばかり景気づけるアクセント的な小道具でしかないのかというとそうでもない。世界は広い。民族音楽のノイズ化やじわじわ溶けるリズムといった手法はコード化されつつ脱コード化してしまうという偶発性を不意に出現させる。それがいつどこで偶発するかしないかというところからして実はそもそも聴き手の好みや体調によりけりで、さらに複数のライヴ&デモでほんのちょっと音を歪めたり歪めなかったりしつつ資本がこっそり求めたがる「スマート」な形態から常にじっくりみっちり逸脱しつづける味わいは「再生回数がこんなにも少ない世界があるって知ってるかい、資本さん?」と資本回転の中でささやきながら資本主義<公理系>の監視管理体系を誘惑する実験音楽の余白を資本自身がますます作ってしまうという逆説を聴かせる。

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