Hakurokin’s 縁側生活

アルコール依存症/うつ病/リハビリブログ

Blog21・退院後リハビリ創作(1998~1999.長岡京市在住時代)

落ちない肌(36)

 

盆休みの変則シフト。不況続きだとはいえこの季節になると世間は相変わらず浮き足立つ。しかし長引く不況に変わりはなく帰省ラッシュの様相はものの見事に変わってきたと詰所のテレビを眺めながらチャは思う。

 

高速道路や新幹線はどこも満杯で帰省したと思ったらすぐUターンしてこなくてはならない。慌ただしさばかりが目に入りまるでお祭り騒ぎ。そんなテレビ画面には決して映し出されない心模様がチャにはある。

 

帰省。浮き足立つ世間へ埋没しともすれば掻き消されそうになりながら自分の故郷とはなんだろうと思わない日はない。両親の祖国韓国。チャがまだ十代だった頃に迫られた指紋押捺。拒否すれば逮捕されるという事態が相次いでおり、どうしよう、どうしたらいいのか、自分自身はどうしたいのか、悩んでいた頃。二ヶ月以上も体の調子がいまひとつ思わしくなく生理も来なくなり病院で診てもらおうと思っていたところ、ある日突然これまで経験したことのない生理に伴う激痛に襲われ椅子に座っていることもままならず学校の保健室へ運び込まれたことがある。保健室のベッドで横になっていても激痛は収まらず二時間余りひたすら耐えた。

 

その翌日に総合病院の内科を受診したのだがはっきりした原因は不明だという。一時的な自律神経の乱れではとの見方だった。

 

そのことを両親に話すと父も母もいつになくおろおろしたり眉間に苦悶の皺を刻むばかりで鬱勃たる沈黙が部屋の隅から隅まで立ち込める。受験準備の忙しさの中ひとまず先に体の調子を整えないとと考えたチャは指紋を押した。それで気が晴れるならと思っていたらそうではなく今度は逮捕されても逮捕されても拒否者が続々増えていく様子を見聞きし自分はもしかしたら生涯許されることのない裏切り者なのか、幼馴染からも相手にされなくなり孤立無縁の身へ堕ちていくのでないかと後ろめたい罪悪感に苛まれる日々が続くようになった。

 

このままでは生きるがつらくなるばかりだ。でもどうすれば、と考えても行き詰まることが増えてくる。このままではどうしようもない。早く迷いを断ち切らないと。

 

そんなとき四月の学校で一斉に行われる進路指導に同伴した母が担任教師の前で突然話し始めた。

 

「私学はちょっと無理だと考えてるんですが国立大なら学費出せそうなんです。この子の成績は正直なところどうなんでしょうか」

 

「国立ですか。成績は申し分ありません。費用面のご心配でしたら奨学金も使えますが」

 

奨学金だと不安材料が残ると家族が、夫がいうんです。この先どうなるかわからないと。特に、その、うちの場合、就職先が見つかるかどうか」

 

母にこれ以上苦痛な話をさせるわけにはいかない。在日韓国朝鮮人学生の就職は今なお狭き門である。

 

「あたし、遷都大、頑張ってやってみます。できるかも。先生」

 

その後勉強へ没頭することができたおかげで一旦断ち切れた迷いだった。けれども就職して二十七歳になった今も選挙権はない。

 

帰省。「故郷へ帰ること」。辞書を引いてみたところでこれといった答えが書いてあるわけではない。辞書に書いてあるのは答えではなく無数の選択肢であり決めるのは自分自身にほかならない。

 

(あたしの故郷、あたしにとって故郷って、一体なんなのだろう。あるとしたら、それは一体どこ―)

 

詰所の電話が鳴る。初瀬からだ。

 

「チャ?あたし。今ね、北小路ターミナル。これからバスに乗るとこ」

 

「どうだった?」

 

「うん。すだちさん元気だよ。詳しいことは帰ってから話す」

 

「わかった。待ってる。気をつけて」

 

受話器を置く。と、すぐまた電話のコール。なんだろう。

 

「はい、アルコール病棟です」

 

「高木ですが」

 

「チャです」

 

「今、観察室何個空いてましたっけ」

 

「一床です」

 

「じゃあそこへ救急入ってもらいますんで。僕もすぐ行きます」

 

盆休みに限らず年中行事の期間中はとにかくこれが多い。点滴ボトルが幾らあってもたりない。急いで観察室の病床回りを整える。槙島と左近のふたりが六人部屋へ移って空いたベッドもすぐ埋まり残っているのは早くもひとつ。

 

観察室が満床の場合他の病院で待機ということになるのだが、同時にふたりの入院希望が重なった際、初回の入院希望者が優先される。二度目の希望者は待たされることが少なくない。初回で断られずに治療プログラムへスムーズに繋がった場合はその後の回復治療への心構えに違いが出てくる。これまで何箇所もの病院をたらい回しにされているケースや患者家族にしても患者本人をどの病院へ受診させれば適切な治療を施してもらえるのか、ここへ来るまでに相当疲れ果てているケースがあまりにも多いからだ。

 

盆休みが明ければ次は秋の行楽シーズン、さらに年末の忘年会から年越しへかけて観察室はいつでも満床か満床に近い。空けばすぐ新しい患者が入ってくる。回転寿司じゃあるまいしと思っている暇もない。

 

救急患者の処置を終えると高木がいう。

 

「ご家族の話聞けたんでカルテ読んどいて下さい。今は静かだけど幻覚出るかもしれない。出るとしたら多分今夜遅く」

 

「申し送りの時に言っときます」

 

「お願いします」

 

高木が詰所を出るのと入れ違いに今日の院内ミーティングに顔を出したキロと山村のコンビが六人部屋へ移った槙島と左近の見舞いにやって来た。

 

「チャさんこんにちは。忙しそうですね。お邪魔かな」

 

「いち段落したばかり。もうすぐ初瀬が戻ってくると思うけど」

 

「そうだった。すだちさんらの付き添いとか言ってたな。ぼくら夜のミーティングで北小路行くつもりだけど。行きしなにバスターミナルの食堂街でやってる五山のこもれ火ガラガラ抽選会寄って。上村が抽選券集めてたんでちょっと早めに」

 

「抽選券?」

 

「パスタとアイスレモンティーのセット頼むとガラガラ抽選券一枚。上村は七枚持ってるらしくてひとつくらい何かこれって当たるといいなと。他のミーティングでもターミナル経由するからその時にもせっせと食って集めたんだって」

 

上村は糖尿病も患っているのだが退院後の体調管理は本人次第なので看護師はあえて口を挟まない。

 

「それとね、ひさしぶりに幕之内クリニックの幕之内先生見かけましたよ。あっという間だったけど」

 

「あっという間?」

 

「車。例の真っ赤なオープンカー。アルファロメオのスパイダーとか言ったかな。市内広しといえどもあの車乗ってる人ってちょっといないし」

 

初瀬はバイクばかりだが幕之内はバイクだけでなく車も好きで真っ赤なオープンカーに乗っている。ひと際目立つわけで男性患者が外のミーティングに出かけていると時々ばったりすれ違う。すると患者らは「お~い」と言いながら手を振って見せる話は病院内でも有名なのだ。