二〇二五年六月一日(日)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
タマ考えたよ。
ん?
CatGPT。
可愛いね。でももう出回ってそうだ。検索してみようか?
してして。
ちょっと待ってておくれ。こうかな。んーと、ーーーありゃ。
どうしたの?
タマにしたら期待外れかも。あのね、獣医学や動物行動学の知見を活かしてChatGPTが猫ならこういう動きを示すだろうというパターンを多岐的に網羅した形でその都度反応してくれる。結局はChatGPTが猫のふりして見せてくれるって感じみたいだ。相手する猫なり人間がそれでいいってのならそれで構わないとおもうけど中身はね、主にある程度信用できそうな医学・獣医学の研究の集積から引き出されてくるものの組み合わせ組み換えに人間が愛らしいとか面白いと思って異種交配で誕生した漫画系・アニメ系猫キャラが出てきてユーザーの対応を任せる機械ってとこかな。
アニメ系キャラって「奇跡のケミストリー!」とかのキャッチコピーが付いてそうなあれ?
アニメーターの仕事がどんどんなくなってしまいそうな気がする。だけじゃなくてクリエイト自体の意味がなんだかもっと変なほうへ行っちゃうかも。
どんなふうに変なの?
悪貨が良貨を駆逐するって言うんだけどさ。後になっていきなり賃金とかローンとかに反映されてくる。労働じゃなくて「働き方改革」って言うじゃん。今の商品ってどれもこれも世界が世界に依存し合って生産されてて切っても切っても切り離せなくなってるんだけど「働き方改革」は一度で済むような作業じゃない。強引にでもずっと推し進められてくわけで日本みたいにどう見ても隠しきれない心細い国はマッチョな大国や社会的経済的に洗練されてきたグローバルサウスにほいほい追い抜かれてく。「働き方改革」って言葉のなかに見え隠れしてる成果主義には終わりがないからね。戦後民主主義のあいだにやっておくべきことをひとつひとつ丁寧にこなしてこなかったツケがだな、日本の最大政治政党とその取り巻きがだよ、思わせぶって見えてないふりでひたすらサボりまくってきたツケが、爆風みたいに上陸してくる。ありとあらゆる方面から。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ラシャド・ベッカー。実験音楽の中でノイズをどう位置付けるかはただ単なる効果音というレベルではあり得ず多少なりともそれまでの保守的音楽への抵抗を示してきた。とはいえ始めから耳触りがよく明らかに商業的成功を目指して資本主義をよろこばせるノイズの効果音的利用もしばしば見られる傾向であり、それを嫌っていろんなノイズを工夫するアーティストも結構出てきた。ところが昨今はどんな実験音楽をも「そこそこ売れる」商品としてわかったような身ぶりで取り込み決して排除せず自身の大物ぶりをわざわざ見せつけるグローバル資本主義<公理系>が幅を効かせるようにまでなってきた。ではもうノイズは退屈な資本主義をちょっとばかり景気づけるアクセント的な小道具でしかないのかというとそうでもない。世界は広い。民族音楽のノイズ化やじわじわ溶けるリズムといった手法はコード化されつつ脱コード化してしまうという偶発性を不意に出現させる。それがいつどこで偶発するかしないかというところからして実はそもそも聴き手の好みや体調によりけりで、さらに複数のライヴ&デモでほんのちょっと音を歪めたり歪めなかったりしつつ資本がこっそり求めたがる「スマート」な形態から常にじっくりみっちり逸脱しつづける味わいは「再生回数がこんなにも少ない世界があるって知ってるかい、資本さん?」と資本回転の中でささやきながら資本主義<公理系>の監視管理体系を誘惑する実験音楽の余白を資本自身がますます作ってしまうという逆説を聴かせる。
